それぞれの四季/チェサ(祭祀)

卞外順(ピョン・ウェスン、事務員)


 例えば「アボジ、オモニ」と同じように「チェサ」がウリマルだということすら知らなかった頃から、親戚が一堂に集まる賑やかなその日が大好きだった。普段は会えない従兄弟と遊び、ご馳走にありつけることが、ただただ嬉しかったのである。

 成長するに伴い少しずつ、伝統的な儀式としてチェサを理解するようになってからも、顔も知らない「ご先祖様」はどこか空恐ろしく、よそよそしく感じられたものだ。

 そんな私に、転機は突然、訪れた。中学1年の晩秋、ハラボジが亡くなったのである。

 身内が亡くなるというのは、初めての経験だった。陽気な印象しかなかった親戚の大人たちが、葬儀の当日、人目もはばからず体中で悲しむ姿は、強烈だった。

 以来、チェサは私にとってグッと身近なものになった。屏風の前の法名を確認したり、故人の生きざまについて質問してみたり。他愛もないことだが、チェサの最中、必ずどこかで先祖を意識するようになっていた。

 初めて体験した冠婚葬祭の「葬」の場で、激しくストレートに感情を表す姿を目の当たりにしたあの夜、私の中で眠っていた「民族」のある部分が目を覚ましたとでも言おうか。

 幼い頃に抱き上げてくれたハラボジの1世の血が私の体にも流れている、との改まった思いが、それまで怖い存在でしかなかった先祖との距離を縮め、一族のきずなを感じさせたのかも知れない。

 あれから15年。懐かしい顔ぶれに4世の子供が加わった今、先祖を敬い、相変わらず酒や料理を囲んで近況を語り合うチェサが、やはり私は大好きである。