私の会った人/海老名香葉子さん


 一昨年夏、ナチスによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の現場をドイツに訪ねた。「数百万人を虐殺した凄まじい加害の爪痕を見て、数日間、食事が喉を通らなかった。言葉ではもう言い尽くせません。人間がここまでするのかと…」。

 エッセイストで、落語家の故林家三平師匠のおかみさん。自身も54年前の東京大空襲で両親、兄弟はじめ親族18人を失った体験を持つ。

 戦災孤児としてなめた辛酸。人に言えぬ苦労も味わったが、「下町の太陽」のように明るく生きてきた。夫亡き後も、30数人の弟子たちを支え、一家をきりもりする。

 テレビ、雑誌などで活躍する傍ら、すでに16冊もの本を出版した。「しゃきっとしていて、たくましくて。朝鮮のオモニのようですよ」と言うと「そうなのよ、雰囲気がよく似ていると言われるの」と微笑んだ。

 悲しみを乗りこえた人だけに、他者の不幸をわが事のように心配する。

 4年前の阪神大震災の際には、本紙あてに、同胞被災者の救援金を寄せてくれた。

 30数年前、結核で入院していた時、同室の朝鮮女性が歌ってくれた「トラジ」や「アリラン」が何よりの励ましになった。今でも一番の愛唱歌だと語る。

 朝鮮の水害被害を何よりも心配し、機会を作って、共和国の被災者を直接励まそうと考えている。「苦しい時、助け合うのはお互い様。お国が、困難を乗り切って1日も早く復興するように願わずにはいられません」と語る。 (粉)