李朝が憩う空間―高麗美術館
コレクターたちが熱い思いを寄せて集めた李朝や高麗青磁。美しい大壺や工芸品を間近にみて、心ときめかす人たち。京都の高麗美術館を訪れた人たちの思いが綴られたノートには、朝鮮民族が生み出した美への賞賛と誇りが溢れている。
心和ます朝鮮の美
そこは、京都市内を流れる鴨川のはずれ、閑静な住宅街の一角。朝鮮半島史上の統一国家「高麗」の名を持つその小さな美術館には、朝鮮の美術・工芸品が専門的に展示されている。1988年に開館した。
生まれ慈しまれた国から日本に奪い去られた物たち、それらを40年の歳月をかけ蒐集した在日朝鮮人一世、故鄭詔文さんの思いが、ここにはこめられている。集めた品々を統一した祖国に持ち帰るという彼の夢は、形を変えて故郷の温かな懐を思わすこの小さな空間に実を結んだ。
自宅を改造した2階建ての素朴なたたずまいの美術館には、李朝白磁や高麗青磁、書画のほかにも、李朝の家具などが当時を再現した形で置かれ、仏像には花や水が供えられている。
ぶらりと散歩がてら立ち寄った人や朝鮮古美術の愛好家、朝鮮学校生徒から南朝鮮の留学生まで、開館以来ここを訪れた人々が、様々な感想をつづったノートがある。
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「とても素敵でした。いい物に会えると胸が高鳴ります。…人や物との出会いは不思議なものですね。これからも出会いを大事にしたいと思います。…ありがとうございました」(中杉彩)
「(植民地支配の歴史について)…在日の人、朝鮮半島に生きる老人たちにいくら心が痛んでも、…いくら近づきたくても、ほんとうに痛みを分かち合うことは日本人である私にはできません。そのことで、このごろ苦しんできました。しかし、ここに展示されている美術品を見ることですこし、いやされました。美を通して感覚を通して私は、当時の人々の心に共感することができます」(町田春子、大学生)
「…私の中の血や肉となるように知りたい、理解したい。…朝鮮のつぼや仏像の笑みや文様の妙が親しさをかもしていればいるほどに、私は悲しくなる。私たちのお互いの不理解が悲しくなる。そして、理解しようとする努力を無限にしようと考える」(96・5・18、花房祐子、東洋史専攻学生)
高麗や李朝の美にふれ魅了されたという日本人は少なくない。だが、この空間に身を置くことで、民族の別なく強く心を揺り動かされたように、自己や他者と深く向き合おうとした人々がいた。
「在日2世です。自分の国の文化を私たちは日本という国の中では探し出すことはとても困難です。私も自分の中に眠っていたものを呼び起こされたのは40才をすぎた頃です。朝鮮のものを目にする時、また、身を置いた時、自分自身が心地よい風に吹かれます。自分は朝鮮民族だなと感じるこの頃です…」(リ・インスク)
「私は京都にすむ75才のオモニです。夜間中学で字をならっています。12才で日本に来ました。字も読めないしかけませんでした。おかげさまでならった字で書かせてもらいます。美術かんにきていろいいろ見せていただきました。私はふるさとや父母のことをおもい胸があつくなりました。ありがとうございました。」(98・11・27、朴基連)
「異国の地日本で生まれ育った私には自国の誇りやかおりがなく生活しています。毎日が日本人と変わりなく生活する中でここに初めて来て2Fの部屋に座っていると祖国へ来ているすなおな気持ちになりました。又来たいと思います。見たことのない祖国を背に感じいつも自問自答する毎日、子供たちをどう育てようかと考えています。来てよかった」(匿名)
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高麗美術館=京都市北区紫竹上岸町15、TEL 075−491−1192。市バス鴨川中学前下車、徒歩2分、京都駅から9番バス、地下鉄北大路駅から37番バス。(純)
◆日本民藝館 呉須で菊を描いた白磁の李朝八角壺が、民芸館に収蔵されている。高さ10数センチの小さなものだが、これこそ柳宗悦と朝鮮の工芸との初めての出会いとなった品。1914年、浅川伯教が土産に持ち帰ったもの。この壺との邂逅をきっかけに柳宗悦は朝鮮半島の文化に深い関心を持ち、民衆的な工芸の美に触発されて、美の本質を質し続けた。李朝好きにとってはよりどころ、原点と目される美術館。(東京都目黒区駒場4―33―3、TEL03−3467−4527)
◆山口県立萩美術館浦上記念館 萩市出身の実業家、浦上敏郎さんのコレクションをもとに、1996年10月に開館したばかり。浦上さんが、約40年かけて集めた美術品のうち、浮世絵約2000点、朝鮮、中国の陶磁器300点などを山口県に寄贈した。とりわけコレクターが愛してやまなかった李朝は70点あまり。粉青沙器と後期青花を中心に集められている。(萩市平安古586―1、TEL 0838−24−2400)
◆出羽桜美術館 出羽桜という、美術館にしてはユニークな名称は、このコレクションが出羽桜酒造の3代目によってなされたものだからだ。天童に生まれた当主、仲野清次郎氏は、戦後の混乱期、1940年代の後半期に東京で学生生活を過ごし、李朝陶磁と出会った。その出会いは、まさに激しく魂を揺さぶられるというほどの感興であったらしい。人の側にある美しさにとらえられてきたと語る蒐集品は、生活から生まれた李朝工芸へくまなく眼が注がれている。(山形県天童市一日町1―4―1、TEL 023−654−5050)
◆大和文華館 1960年に近畿日本鉄道創立50周年を記念して開館。それ以前の46年から美術館構想が発足し、初代館長矢代幸雄氏が10数年かけて作品の蒐集に尽力。後に国宝4点、重要文化財30点が指定される、厚みをもった東洋美術の宝庫として出発した。李朝では、とりわけ絵画の充実したコレクションが知られるが、陶磁器、漆工にも個性的で味わい深い優品が数多い。(奈良市学園南1―11―6、TEL 0742−45−0544)=参考文献は『身近な骨董・李朝に入門』=文化出版局・銀花編集部編、TEL 03−3299−2567。