わがまち・ウリトンネ(21)/広島・基町(4) 文正男、南炳鎮


外に出る若者、切実な高齢化/毎晩のように集まり議論

 広島市中区・白島の長寿園アパートには、牛田(東区)の仮設住宅にいた同胞だけでなく、西区の三篠(みささ)町にいた同胞らも引っ越してきた。区画整理による立ち退きにあった人々である。

 同胞の長寿園アパートへの入居は1971年から始まり、75年頃までに完了した。

 「あの頃が一番活気づいていました」。南炳鎮さん(66)は当時を懐かしむ。

 「毎晩のように誰かの家に集まっては、様々な問題について、ああでもない、こうでもないと話し合っていました」と文正男さん(72)もいう。

 「2階から14階まで走り回りましたよ。夜、住宅内を歩いているのは創価学会のメンバーと私らぐらいと言われるほど、にぎやかに活動していましたね」と南さんは笑う。建物自体は鉄筋の高層住宅だったが、トンネの雰囲気は十分にあったという。

 「日曜日ともなると、女性は皆、チマ・チョゴリを着て出かけました。常時2、30人は集まりましたよ。エレベーター内でもワッチャワッチャ騒いでね。帰って来て、家族に夕食を食べさせた後、夜また集まるんです」と南さん。

 「男性のほとんどが労働者。昼間の労働でいくら疲れていても、夜の集まりには必ず出てきていました。同胞同士集まるのが楽しかったんですね」(文さん)

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 現在、この長寿園アパート「トンネ」では、同胞の高齢化が問題になっている。

 「スラム街撤去のために作られたアパートなので、もともと部屋が狭い。大体が2DKです。それでも子供が小さい時は、何とか生活していけますが、大きくなったらどうしようもない。ましてや、子供らが所帯を持てば出ていくしかありません」(南さん)

 こうして、若い人たちはどんどん外に出ていき、アパートには年寄りばかりが残るようになる。

 文さんは、「ここでは高齢者の介護問題は緊急を要します。若い世代がこの問題に真剣に取り組んでほしい」と切実に語る。

 このことは同時に、同胞らが肩を寄せ合って暮らしていたトンネという場所が消滅していることをも意味する。若い世代は散りぢりに暮らし、互いに干渉し合うことを嫌う。

 「私たち1世は、必ずいつかは国に帰るんだと思っていました。しかし、70年代以降、生活が安定するなかで、同胞らの間で日本への定住志向が強まっていきました。まず家族という考えが支配するのも自然の流れでしょう」と文さん。「しかし、同胞同士助け合っていく気持ちだけではなくさないでほしい」

 場所としてのトンネが消滅していくなか、その精神をどう受け継ぐか。今の課題である。(この項おわり=文聖姫記者)