生き方エッセ―/大切にしたい「チョソンサラム」 金美和


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 チョソンサラム(朝鮮人)は誰もがチャンゴの音を聞くと、あんな気分になるのでしょうか? なんか、こう、なんて表現しよう…。ウキウキ?違う。ワクワク?でもない。…そう!「血が騒ぐ」。

 チャンゴを打ってると、いま間違いなく体中にいい成分が充満していってる、と感じる。同じ打楽器でも、和太鼓はなんとも思わないのに、チャンゴにはこうも反応する体のメカニズムはどうなっているんだろう。やはり朝鮮民族の血が勝手に騒いでるんでしょうね。

 それにしてもただの打撃音が、リズムを持って調和することでこうも人を酔わせるとは…。それを感じ取るとき、チョソンサラムでよかったと改めて思う。

 私が在日朝鮮人として生まれてチャンゴに出会うのは、必然のようであって実は、偶然的な要素の方が多いんじゃないかと感じ始めている。なぜなら、チョソンサラムとして生きる自分は、現状に対比してみると、とてもまれな存在だということに気付いたからだ。

 私は大学で初めて、日本人の中で生きる在日朝鮮人の方が圧倒的に多いという事実を目の当たりにした。

 15歳まで私はずっとチョソンサラムの中で生活してきた。私のすべてはそこにあったし、振り返ってみると隣に日本人がいた覚えがない。在日なのに日本人との接点がまるでなかったのだ。あの頃、そのことになんの疑問も持たなかったのは、幼いゆえに気付かなかったからなのか。

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 中からは見えなかった表面を眺めるようになったのは、日本の学校に通い始め、朝鮮人社会から離れてからだ。どうやら、私の「世界」だったそこは、在日という範囲ではほんの一部分だったようだ。

 そう見えてからの私の動揺。根本的なことがひっくり返ったような感さえする。私の「大事」なことが、大多数の在日朝鮮人にとっては「小事」で、「自然」な行動が「不自然」に写ってしまう。例えば、本名と通名の問題を考える必要性すら持ってなかったり、日本にいるのに朝鮮人同士集まるのは、逆に不自然だと言う人がいたり…。

 最初はショックだった。朝鮮人として生きることを否定的に捕らえているようにしか見えなかったからだ。私が当たり前だと思ってきた、「朝鮮人が朝鮮人として生きる」ということが、希少な概念となってしまう。

 そうした数々の「出会い」は、直視したくない面でしたが、ある意味、新鮮でもあった。なぜなら初めて多様な在日朝鮮人の価値観を見ることができたからだ。

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 最近、とくに思うのは、日本でこんなに帰化していく在日朝鮮人が多い中、私が、チョソンサラムで良かったとチャンゴの音一つで思えてしまうのは、環境に恵まれたからだ。

 数少ないウリハッキョが通える範囲にあって、チョソンサラムとして生きてる人に囲まれて育って…。自己形成の時期をその環境の中で過ごした私は、やはりこれからもこの気持ちを大切にしたいと思っている今日この頃だ。

(きむ・みふゎ 同志社大学1年)