知ってますか――朝鮮半島初めて/シルム(朝鮮相撲)


 朝鮮半島では、名節、祭の折りなどに様々な民俗遊戯、スポーツが楽しまれてきた。中でも人気のあったのがシルム(角力戯=相撲)である。現在も南北で競技会が開かれるほどだ。南にはプロチームもある。

 日本でも、大相撲人気は相変わらず根強いものがある。朝鮮シルムはいつ頃から始まったのだろうか。

 文献を紐解くと、高句麗の古都、輯安(集安=鴨緑江中流の平安北道満浦鎮の対岸にあり、現在は中国領)の角抵(かくてい=中国語でシルムのことをいう)塚古墳の壁画に、シルムの原形といわれている高句麗人の「裸の相撲図」が描かれている。

 また、中国の「後漢書」にもシルムの記述がある(高麗技などと呼ばれた)ことから、2〜7世紀の間に生まれ、発展したのではないかというのが、今日の定説である。

 かつて朝鮮半島では、1月15日(上元日)、5月5日(端午の日)、7月15日(中元日)、9月9日(重陽日)などの日にシルムが行われたが、とくに5月5日と7月15日に多かったという。

 例えば、洪錫謨の書いた「東国歳時記」(1911年)には次のように書かれている。

 「青少年や少年たちは、端午の日にソウル南山の倭場や、北岳の神武門にあつまって、角力戯(シルム)をおこない、勝負を賭ける」、「その方法は、両方がたがいに向かいあってしゃがみ、それぞれ右手をもって相手の腰の紐をつかみ、左手をもって相手の右股にかけた紐をつかむ。両方が一時に起ちあがりながら、相手を持ちあげて組み伏す。倒れて組み伏された者が負けとなる」

 川原の砂地に場所(シルムパン)を選んで行い、内掛け(アンゴリ)、外掛け(バッコリ)、腰投げ(ペチギ)などいろんな技がある。

 また、7月15日がもっとも盛大で、日頃、きつい労働に耐えてきた無名の青年たちがこの日ばかりと覇を競い、蓄えてきたエネルギーを爆発させた。優勝者は「英雄」あつかいで、牡牛が賞として贈られた。