取材ノート/自分は何者か、問い直す大事な作業


 先日、友人から「記事を読んだ」といって、手紙をもらった。

 友人は、音楽関係の仕事でオランダに3年ほど行っていたが、昨年5月、日本に帰ってきた。現在は、実家の仙台で、焼肉屋の姉妹店を、弟とともに一生懸命切り盛りしている。経営者としての悩みも多いようだ。

 友人は、久し振りに帰ってきた日本で、その3か月後に、「テポドン」騒ぎを経験した。

 「在日朝鮮人の資産を凍結すべきだ」などという某自民党議員の発言に、「相変わらず、なんて国なんだろう」と、怒りを通りこしてあきれてしまったと、電話をかけてきた。

 だが、その話をしながら、それでもオランダで何日か高熱をだした時、頭に思い描いたのは、日本の仙台の町並みだったと言った。私はその話を聞いて、ふと考えに浸ってしまったのを覚えている。

 オランダにいる間、自分の「国籍」や、自分自身についてもかつてなく考えた、というのだ。

 友人は手紙で、その時の話をしながら、今まで当然だと思っていた価値観、1世、2世が当たり前に思ってきたことを改めて問い直してみることは、今だから大切ではないか、と書いてきた。

 最近、そうした作業の重要性について実感している。私たちが何を守り、育て、大切にしてきたのか、自分たちは何者なのか、などなど…。

 同胞の中に、こうした問題を投げかけると、意外にも色々な意見が返って来ることを、取材を通して知った。私自身も「知ってるつもり」で、実は今までじっくりと目を向けることなどなかった。

 でも、シンプルな問題提起にこそ、私たちの「これから」が見えてくることもあるのだ。(金美嶺記者)