それぞれの四季/「歴史の中の女たち」高野新笠
尹美恵(ユン・ミヘ、歴史研究者)
大和は国のまほろば――。よく耳にする言葉だが、まほろばとは「真秀(まほ)なる所」の意で、耳成・畝傍・天香久山の大和三山に囲まれたヤマトは、日本的なるものの象徴とされる。この日本の国号のヤマトを姓とする氏族があり、それが実は百済からの渡来氏族だと聞いたら、「大和魂」や「戦艦大和」にニンマリ、「大和撫子」にヨダレの国粋主義者は卒倒するだろう。
ヤマトは元来「和(倭)」1字で表記されたが、その和(倭)氏は、百済武寧王の流れをくむ氏族で、『日本書記』は6世紀初めに日本に来たとする。
8世紀前半、和乙継の娘の新笠は、天智天皇の孫の白壁王との間に山部王・早良王・能登女王をもうけたが、この白壁王に天皇の座が転がり込んだことから、新笠の運命も急変する。
白壁王にはもともと天皇になれるメはなかった。ところがあまたの皇子たちが暗殺され、そして誰もいなくなった果てに、62歳にして白壁王が即位した。光仁天皇である。しかし、皇后になったのは新笠ではなかった。皇后には聖武天皇の娘の井上内親王、皇太子にはその子の他戸が立てられたのだが、運命の女神は再び新笠にほほえむ。
時は陰謀の時代、政治の実権を握ろうとする藤原百川らの策略で、井上と他戸は投獄され、毒殺される。新笠の長子の山部が皇太子となり、781年に桓武天皇として即位、平安京を開く。
新笠は晴れて皇太夫人となり、その死の翌年には皇太后の位を追贈された。和氏はのち改姓して高野朝臣と称した。