わがまち・ウリトンネ(15)/東京・枝川(3) 尹太祚、黄炳哲
同胞支えた江東朝鮮人生協/生活必需品を安く提供
東京朝鮮第2初級学校の裏手を3分ほど歩いた四つ角に、古い建物が残っている。江東朝鮮人生活協同組合(生協)である。長い間、風雨にさらされたため、看板の文字はほとんど読めないが、バラックの建物は、そこだけがタイムスリップした印象を与える。
操業の3年後からここで働く林末任さん(88)は、今も元気で店の前に立つ。尹太祚さん(84)と歩いていると、気軽に声をかけてきた。「昔はたくさん売れたけど、今はあまり買ってくれなくなったね」。「ここには肉屋があったのよ」と、林さんが店の前を指さすと、そこには立派な一軒屋が建っていた。
枝川トンネに住む同胞らは互いに助け合いながら生きてきた。トンネには生協のほかにも米の配給所、共同水道などもあった。現在、米の配給所は倉庫に、共同水道は公園になっている。
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メモ 在日朝鮮科学技術協会の調査報告「在日朝鮮人の生活実態」(1951年)によると、江東朝鮮人生活協同組合は47年末に設立された。主食品と青果物以外の生活必需品を、同胞らに安く提供するのが目的であった。50年末の価格は、洗濯石鹸1個26円(卸値24円)、油揚げ1枚5円(卸値4円)、マッチ1箱2円(卸値1.4円)などとなっている。
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尹さんの妻、歌子さん(77)は、当時を懐かしみこう語った。
「生協に行けば、靴や文房具、乾物などあらゆる物が安く手に入りました。もうけは度外視だったので、いつも赤字だったと思いますよ。あの頃は商売より、情が優先してましたね」(文聖姫記者)