取材ノート/「同胞の側に立つ」難しさ
生まれ変わった朝鮮新報の経済・経営・権利欄を担当して2ヵ月。これまで接触なんて皆無だった商工人から話を聞く機会も増えた。「未知の分野に挑戦」と、やる気は満々だったのだが、取材と執筆を繰り返す中で、自分の識見のなさ、発想の浅さ、視点の甘さを強烈に実感する。
朝鮮新報は同胞の生活に密着した新聞である。同胞に役立つ記事が出なければ意味はない。ところが、「言うは易し、行うは難し」で、なかなかうまくはいかない。
「おすすめ物件情報」、「日本の不況どう推移」なんて、第1稿は散々たる出来だった。ろくな記事じゃないと、即、突っ返される。「どういう情報、知識を読者に与えたいのか、伝わってこない。自分が読者だったら、読みたいと思うのか」と。
第1稿を読み返すと、言われた通りだ。記事を通じて何を伝えたいのか、企画の段階でしっかり組み立てない。企画が煮詰まらないから、突っ込んだ取材もできない。内容の浅さを痛感する。
それで、指摘された点を頭に入れつつ手直しすると、まあ見られる記事になる。こうして、記事はようやく形となって、読者のみなさんの手元に送り出されたわけである。
独りよがりではなく、同胞の側に立って記事を書く。この当たり前のことがいかに難しいか、ひしと思い知らされる。
取材した同胞から「新報、読んでるよ」と声を掛けられた。これほど嬉しいことはない。いろんなことを抱え込み、悩みすぎて精神不安定になった時期もあった。でも、同胞の励ましを聞くたびに「つらいけどやらなきゃ」と、背筋がぴっと伸びる。明日もがんばろう。(柳成根記者)