聞いてほしい!倒産の話/番外編
日本の不況 どう推移?/「企業淘汰の時代」到来
大規模・大量倒産時代の真っただ中にある不況・日本。バブルの崩壊は景気を一気に冷え込ませ、倒産件数は右肩上がりを続ける。「銀行はつぶれない」「困った時には金を借りられる」という「神話」は崩れ去った。体力のない企業は容赦なく淘汰される時代の到来である。
90〜96年
急増する「バブル型」/火の手は金融業界にも
年明けの東京市場で、円相場と株価が急落したことから、俗に「バブル崩壊が始まった年」と言われる1990年。この年を境に、「バブル型倒産」と言われる大型倒産が相次いだ。
多くは、85〜89年のバブル期の財テクや無理な投資拡大が失敗し、倒産に至るケースだ。株価暴落で資金繰りが悪化した服飾品・手芸用品販売会社「ぱり」が、1000億円の負債を抱えて90年4月に倒産したのが、バブル型倒産の始まりとされる。財テク失敗による倒産は前年比5.7倍と急増している。
また、人手不足による製品納入の遅れから経営が圧迫され、倒産に至る「人手不足倒産」の急増や、不動産業者が他の業者に比べて唯一、大量に倒産したのも、この時期の傾向だ。
翌91年には、バブル崩壊が一気に加速し、中小企業を中心に倒産が相次いだ。93年に東京協和・安全の2信用組合の破たんが表面化したのから始まり、銀行系列ノンバンクの相次ぐ破たんで、不況の火の手は金融業界にまで及んだ。
そして、95年に阪神・淡路大震災が起こる。突発的なこの事態は、神戸を中心に、経済に大きな影響を及ぼし、地元の零細企業は壊滅的な打撃を受けた。
住専処理問題で揺れた96年には、住専の大口融資先だった末野興産が倒産し、ノンバンクの倒産も相次いだ。
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神戸市長田区のケミカルシューズ製造会社「シャープ」専務で、西神戸商工会理事の金錫東さんは、不況と震災のダブルパンチを乗り越えた1人だ。地場産業のケミカル業界が大打撃を被る中、社員一丸で震災直後の混乱を乗り切り、厳しいながらもどうにか収益を安定させているという。
「技術的な方法の問題よりも、『長田のケミカルの火は絶対に消さない』という思い、やる気の方が強かった。必死にやれば必ず良い方向に進むと信じていたんです。要は自分自身の心構えですよ」
97〜98年
「貸し渋り型」の登場/名門・山一もデフォルト
バブル型倒産が減少するかたわら、販売不振や業界不振、金融機関の貸し渋りによる債務不履行などを原因とする「不況型倒産」は、96〜97年を境に急増していった。
96年末に政府が金融ビッグバン構想を発表したのも束の間、97年の年明けに、持ち帰り寿司大手の京樽が、1013億円の負債を抱えて倒産する。財テク失敗に加えて、不況による本業の持ち帰り部門の不振が原因だ。
この年は、金融機関の貸し渋りによって不良債権を処理し切れなくなるパターンが急増。上場ゼネコンの東海興業の倒産で、業界に不安が拡大、一気にゼネコンパニックが訪れた。
そして、山一証券という証券最大手の破たんである。大量の簿外債務が発覚してメーンバンクから支援を打ち切られ、債務不履行に陥るという、典型的な貸し渋り倒産。これによって、証券業界にも淘汰の時代が訪れることとなった。
98年には、靴メーカーの名門アサヒコーポレーションなど、名のある企業も容赦なくつぶれ、負債総額は14兆3800億円と最悪値を更新した。
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倒産に関する相談を請け負うボランティア団体「八起会」の野口誠一会長は、この状況を「日本という国全体が信用を失い、倒産寸前なんですよ」と分析する。大企業でも銀行に見放されれば容易に崩れ、その銀行すらも破たんするという、まさに「一寸先は闇」という現状なのである。
99年〜
「かつてない大動乱期」/上半期のみで7900件倒産
帝国データバンクの発表によると、今年99年の上半期に1000万円以上の負債を抱えて倒産した企業は7919件、負債総額は7兆3693億円。依然として高水準だ。バブルのピーク時である90年の倒産件数が6468件だから、バブル当時の1年分の倒産が半年で起こっているのである。
とくに、倒産件数の実に72%を不況型倒産が占めている。これは過去最悪の数値である。
日本経済は、バブル期からバブル崩壊を経て、経営受難の時代、本格的な企業淘汰の時代に突入した。名門企業、優良企業、大企業でも、いったん火が付けば容易に焦げ付く時代なのである。
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帝国データバンク情報部長の熊谷勝行氏は、著書「企業倒産」(平凡社新書)の中で、倒産は今後も増え続けるであろうし、そのことによって日本経済は大転換を遂げていくであろうと指摘。かつてない大動乱期に突入したとの自覚を誰もがしっかり持って、常に危機感と緊張感をみなぎらせて事に当たるべきだと主張する。(柳成根記者)