知ってますか――朝鮮半島初めて/世界に誇る高麗青磁と李朝白滋


 高麗青磁と李朝白磁。かつて、ヨーロッパの貴族たちがその美しさに目を奪われ、中国の青磁とともに先を争って買い求めたという。

 一般には陶器と共に陶磁器と総称されている。陶器は素地(きじ)が不透明で吸水性があり、光沢のあるうわ薬をぬったもの。磁器は逆に、素地が白透明性で吸水性のない焼物をいう。

 朝鮮の陶磁器の歴史は、紀元前4000年頃、土器文化にまでさかのぼる。

 当時の物としては、慶尚南道釜山(プサン)の東三洞(トンサムドン)遺跡で細隆線文土器や無文土器が発掘されている。これらを原型にして、青銅器時代に朱をぬって磨き上げた赤色磨研土器に発展し、続く鉄器時代(楽浪=ランラン=時代。紀元前100〜300年)には中国の漢の陶器文化の影響を受け、灰陶(かいとう=灰色の粗製土器)が高温で焼き上げられていった。

 三国時代(紀元前後〜668年)、高句麗(コグリョ)では灰陶、新羅(シルラ)、百済(ペクチェ)では灰白色、灰黒色の新羅土器が主流で、つぼ、びん、わん、皿など豊富な日常陶器が製造された。

 磁器製造が本格化したのは、高麗時代(918年〜1392年)である。開城(ケソン)に都を置いたこの時代、中国からたびかさなる侵略を受けたが、同時にかの有名な景徳鎮(けいとくちん)の青白磁などが伝えられた。

 9〜10世紀頃に、青磁の製造が本格化し、11世紀頃に中国の青磁に勝るとも劣らない翡色(ひしょく)青磁が作り上げられた。翡色とは、カワセミの羽の青さの美しさに例えた呼び方である。

 李朝時代(1392〜1910年)になって、青磁とは対照的な白磁が主流となった。仏教に代えて儒教を国の理念としたことを契機に、中国の文化的影響から脱皮し、独自の気風を作り出そうとしたことが白磁主流となった背景にある。

 この時代、磁器所136、陶器所185ヵ所(「世宗実録・地理志」)にもおよび、監督役所が設置されるほど盛んだった。15世紀に入り、コバルトを輸入して染め付けした独自の青花が焼き上げられた。