M氏との出会い/尹敬淑
「やさしくて厳しい町のおじさん」
2年前、初冬の訪れを知らせる木枯らしが吹き始めた頃だった。息子が通うウリハッキョ(西東京第1初中級)の近くに住むM氏と話をする機会があった。
戦後間もなくこの町に移り住み、洋裁店を開いたM氏は、70歳を過ぎた現在でもミシンを踏み続ける。真っ白の髪に深いしわが刻まれた彼の容貌から、敗戦直後の混乱期を生き抜いた人の強じんさがうかがえる。
隣接する朝鮮学校の姿を50年余り前からずっと見守ってきた彼は、学校の処遇改善のために、市長をはじめ有力な議員に会って幾度となく働きかけてくれた。
交通安全運動期間は通学路に立ち、日本の生徒と共にウリハッキョの生徒たちにも「おはよう、気をつけて行っておいで」と暖かい声をかける。時には、返事が返ってこないと「なんであいさつしないんだ」としかることもある。「優しくて厳しい町のおじさん」とは、子供たちの印象だ。
親子祭りの参加に尽力
「朝鮮学校の事を地域の日本人に知ってもらいたい」、「何らかの形で交流を持ちたい」というウリハッキョ教職員の熱意に打たれ、4年前から町内の親子祭りに参加できるよう、取り計らってくれたのもM氏だ。祭りに足を運んだ人々は、生徒たちが披露する民族舞踊などを通じて朝鮮の文化に触れ、オモニたちが販売する特産物に舌つづみをうち、朝鮮の味に触れる。
「朝鮮学校も地域の学校だから、どんどんアピールしたほうがいいよ」そう言って、学校の行事がある時には率先して地元の人々に呼びかけてくれるM氏。
「各種学校」を盾に未だに続く差別的な政策。そして、マスコミの歪んだ報道によって惹起(じゃっき)される生徒たちに対する暴力といやがらせ。
私たちがこの社会で子供を朝鮮人として育て、自立させる過程は多難で心安らぐひまがない。
3年目を迎える「ふれあいバザー」
しかし、M氏のような人に出会うことで、希望を持って前を向くことができる。
学校の運営を助け、多くの日本人に理解を深めてもらおうという趣旨のもとで行われるウリハッキョの「ふれあいバザー」は、今年で3年目を迎える。
開催を4日後にひかえ、近隣住民のやさしい心に感謝し、期待に応えようと、目下多くのアボジ、オモニたちが準備作業にいそしんでいる。
私も波に乗り遅れてはいけない。近所の人を誘って行かなくては。ウリハッキョがたくさんの人に親しんでもらえる「地域の学校」として、いつまでもこの地に在り続けてほしいから…(ユン・ギョンスク、東京都立川市在住・主婦)