知ってますか――朝鮮半島初めて/マッコルリ


 マッコルリ(タクペギ、タクチュとも言う)はにごり酒のことで、庶民の酒として愛されてきた。朝鮮語で「マッ」は大ざっぱ、「コルリ」は漉(こ)すという意味である。穀類などの材料と小麦麹(こうじ)とを、1回だけ合わせる一段仕込みの速醸酒。上澄み部分と下層の濁った部分を分けずに、そのまま「大ざっぱに」に漉して、かすだけを取り除いた酒という意味でマッコルリと呼ばれた。農民たちに広く愛飲された事から、農酒(ノンジュ)とも呼ばれた。

 味は甘味、酸味、苦味などがうまく調和し、やや甘味がかかったさわやかさが特徴。アルコール度は6%前後。

 マッコルリは、朝鮮半島の南部地方で盛んに生産された。

 通説では、穀類の栽培が始まった紀元前1000年紀の前半期、農耕文化の発展と共に麹を作り、酒を醸造したと伝えられている。

 高句麗、百済、新羅の三国時代(313〜676年)に関する歴史書「三国史記」、「三国遺事」には、様々な「酒」が紹介されている。高麗時代(918〜1392年)に入って、薬酒(清酒)、にごり酒などが寺院を中心に醸造され、中国の元(1271〜1367年)から焼酒(焼酎=ソジュ)も伝わって来た。

 「高麗図経」(1124年)には、「庶民が良オン署(注;ヤンオンソ=国の公式行事用の酒をつくる部署)で作られた酒を得るのは難しく、味が薄く色の濃いものを飲んで」おり、「慶事のときに飲む酒は甘みがあり、色が濃く飲んでもあまり酔わない」と書かれている。

 これが、今のマッコルリのたぐいと考えられている。

 マッコルリは、日本統治下の度重なる酒税法の改正によって製造、販売ができなくなった。しかし、酒づくりの技術を生活文化として身につけた当時の人々はマッコルリを密かに作りつづけ、守ったのである。