ニュースPICK−UP
在日 元慰安婦宋神道さん敗訴/東京地裁
受験資格求め明大に申請書
朝銀中部が開業
北 南北初のバスケ大会
「現代」出資の体育館着工
万寿台芸術団創立30周年記念報告会
平壌でプログラムコンテスト
南 東ティモールへ派兵
保安法反対の団体結成
「国家保安法」事件控訴審で無罪判決
在日/
日本の植民地時代に中国で旧日本軍の「従軍慰安婦」にされ、非人道的な扱いを受けた宋神道さん(76、宮城県在住)が日本政府を相手に国会での公式謝罪、1億2000万円の損害賠償と謝罪文の交付を求めた訴訟で東京地裁は1日、請求を棄却する判決を言い渡した。
判決は宋さんが従軍慰安婦だった事実を認定したものの「個人が加害国家に直接損害賠償を求める国際法はない」として原告側の主張を退けた。宋さんは控訴の予定。
愛知朝鮮中高級学校の生徒2人(高3)が9月29日、名古屋大学に出願資格認定書の発行を求めた。
国立大学への受験資格が認められていない朝鮮高校出身者は前もって、受験を志望する国立大学学長が発行する出願資格認定書を取得し、大学入試センターに提出しなければならない。
愛知朝高では過去3年で4人の生徒が名古屋大など国立大への受験を希望したが、いずれも高卒資格がないとの理由で拒否された。
9月27日、朝銀岐阜、富山、石川、三重、静岡が合併し、朝銀中部信用組合として開業し同日、旧朝銀岐阜本店前で開業式が行われた。朝銀中部は1100余億円の預金と940余億円の貸付金、17の店舗を有し、岐阜、富山など5県で営業する。初代理事長には旧朝銀岐阜の「鎔周理事長。
北/
朝鮮アジア太平洋平和委員会と南朝鮮の「現代峨山」」が共同主催する「統一バスケットボール競技大会」が9月28、29の両日、平壌体育館で開かれた。南北のバスケット試合は解放後初。試合の模様は南北双方のテレビで生中継された。
28日の試合は南北の混成チームが男女別に編成された。1万人の観衆は「民族大団結!」「祖国統一!」と熱い声援を送った。
2日目の試合は南北対抗で行われ、男子は102−71で、女子は95−93でそれぞれ北が勝った。
現代グループが朝鮮アジア太平洋平和委員会と共同で建設する平壌室内総合体育館の着工式が9月29日、現地で行われ、同委員会の金容淳委員長と28日に板門店経由で訪朝した現代グループの鄭周永名誉会長ら双方の関係者が参加した。
万寿台芸術団創立30周年記念報告会が9月29日、共和国の東平壌大劇場で行われた。
1969年に創立された同芸術団は、歌劇「花売る乙女」など数々のヒット作を生み、73年には日本各地でも公演したことがある。(朝鮮通信)
第10回全国プログラムコンテストおよび展示会が、9月21日から28日まで平壌で開かれた。
朝・日機械翻訳プログラムが特等を、音声認識プログラムなど3件が1等を受賞した。(朝鮮通信)
南/
南朝鮮国会が「東ティモール多国籍軍派兵同意案」を9月28日、可決した。これにより29日に平和維持団の創設式が行われ、30日に先発隊が出発した。
来月初めまでに419人を派兵する。南朝鮮軍の戦闘部隊の派兵は65年のベトナム戦争以来初めて。
9月28日、南朝鮮の全国民主労働組合総連盟と民主主義民族統一全国連合など120の市民、社会団体が、ソウルの明洞聖堂で「国家保安法廃止全国民連帯会議」を結成した。
また、与党国民会議が「国家保安法」改正試案を9月30日までに作成した。第10条の不告知罪は廃止するが、7条の鼓舞、讃揚罪の構成要件は強化する。
済州地裁刑事控訴部が9月29日、「眠らぬ喊声、4・3抗争」というビデオを制作、配布したとして逮捕、起訴(国家保安法違反)された金東万氏(32,音訳)の控訴審で、懲役10ヵ月、執行猶予2年の1審判決を破棄し、無罪を言い渡した。
4・3抗争とは、1948年、南朝鮮単独選挙に反対して済州道民が立ち上がった事件で、道民の4分の1以上にあたる7万人以上が犠牲になったと言われている。
日本/
介護保険の「要介護認定」の申請受け付けが1日から全国の市町村で本格的に始まった。
申請を受けた市町村は、申請者への訪問調査のデータや医師の意見書をもとに介護認定審査会を開いて介護サービスが必要かどうかを判定する(7段階)。
介護保険は、外国人も含む40歳以上の人すべてが保険料を収め、寝たきりや痴ほうになった時に介護サービスが受けられるようにする制度。
茨城県東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー東海事業所で9月30日午前、日本初の臨界(核分裂が継続的に起こる状態)事故が起きた。
茨城県庁によると作業員3人をはじめ、被曝者は49人にのぼる。30日には周囲半径10キロ圏内の住民に屋内退避要請が出され、JRをはじめ主要交通網も遮断されるなど、周辺地域は混乱に陥ったが1日夕、日本政府が「臨界の終息を確認」と発表。周囲半径10キロ圏内の屋内退避要請は解除された。1日は、半径10キロ圏内から水戸市の茨城朝鮮初中高級学校に通う21人の同胞生徒児童も学校を休み、自宅待機したが、要請が解除された2日には全員が元気に登校した。総聯茨城県本部の調べでは、同圏内には約300人の同胞が居住しているが、今回の事故による被害者はいないとのこと。
国際/
朝鮮戦争勃発直後の1950年7月26日、米軍が当時、忠清北道永同郡永同邑の住民500余人を「避難させてやる」と連れ出して虐殺した「老斤里良民虐殺事件」が、当時の米軍の公文書によって初めて確認された。
AP通信が入手した米軍上級部隊の「下位部隊に送る命令書」によると、米軍上級部隊は、「彼ら(避難民)を敵として扱え」との命令を下した。犠牲者の家族らは97年8月、政府に損害賠償を求める訴訟を起こしたが棄却された。