sinboj_hedline.gif (1986 バイト)

「神様の子」/林綾美さん(岡山朝鮮初中級学校中級部2年)

少年の主張岡山県大会で最優秀賞


 第20回少年の主張岡山県大会が7日、岡山市内で行われ、岡山朝鮮初中級学校中級部2年の林綾美さんの「神様の子」が最優秀賞に、金優綺さんの「大好きなチマチョゴリ」が優秀賞に選ばれた。同大会には、県内の中学校から1万2660点の作文が寄せられ、その中から選ばれた21人が参加、発表した。林さんの作文と録音テープは、全国大会(11月、東京)の出場者を決める中四国ブロックの審査会に出品される。林さんの「神様の子」を紹介する。

   ◇    ◇  

 みなさん、たぶん誰でも一度は身体障害者を見かけたことがあると思います。

 たとえば、信号を待っている時、突然となりにいた男の人が、よだれをたらしながら笑っているとします。あなたはどう思いますか。どういう行動をとりますか。

 嫌な顔をして離れていくか、それとも、となりにいた友人と顔を合わせ、クスクス笑ったりするんではないでしょうか。

 私は、自分の方にそういう視線を感じたことが何度もあります。それは、私の姉が障害者だからです。

 最近でも、身体障害者をばかにしたり、見下したりする一言をよく耳にします。「養護」という言葉を「ばか」という意味で、使っている人もいます。

 だけど、考えてもみて下さい。

 私たち健常者が障害者をばかにしたりなんかして良いのでしょうか。障害というものはいつやって来るか分からないものです。もしかすると私も、姉の様になっていたかも知れなかったのです。

 私は生まれた時、2480グラムでした。逆子で生まれたため息がつまり、生まれた瞬間呼吸をしていなかったそうです。

 それでも、病院の先生の必死の努力で、今私はこの通り、みんなと同じ様に飛んで、跳ねて、歌って、踊って、勉強も出来るし、ピアノも出来ます。

 でも、もしも先生に見放されていたら、私は今頃養護学校に通っていたか、もしくはこの世にいなかったかもしれません。

 姉の通っていた養護学校にはいろんな人がいましたが、交通事故で体の一部が動かなくなったりした人も少なくありませんでした。この様に障害は、日常生活と隣り合わせなのです。

 私は幼い頃から、母にこんな事を聞かされて来ました。

 「お姉ちゃんはねぇ、神様の子なんよ」

 それは姉が生まれた時、ずっと仮死状態だったけど、神様が「あなたは生きなさい」と力を与えてくれて、「障害者」として選ばれた強い子なんだという意味でした。素晴らしい考えだと思います。

 姉は今、障害者だということを苦にせず、前向きに前向きに生きています。

 くじけることもあるかもしれません。だけど彼女は、障害を持っているからこそ出来たことを、山ほどやりとげています。

 姉は中学まで朝鮮学校に通っていましたが、たくさん詩を書いて何度もコンクールで入賞しただけでなく、「ソウォン―願い」という詩集も出しました。みんなと一緒に飛んだり走りまわりたいという願い、それと祖国統一に対する願いを込めたものです。

 姉は今、大きな希望をもって、大学の社会福祉学科でがんばっています。私はこんな姉を誇りに思っています。

 みなさん、みなさんの近くにもきっといるはずです。努力しても治らない障害を持ち、差別を受けながらも、一生懸命生きている人たちが。しかし、そんな人たちを、世間がそうするからといって自分も一緒になって差別の目を向けるのは、何よりも最低なことなのではないでしょうか。

 私たちは逆に彼らを励まし、彼らの身になって、手を差しのべてあげるべきだと思います。なんたって彼らは、「神様の子」なのですから。

 私は、母の言葉を忘れず、これからも姉をいつもそばで勇気づけて、支えてあげたいと思っています。それと同時に、自由という素晴らしさを忘れかけている人々が、一人でも多く障害者を理解し、1日でも早く差別がなくなる日が来ることを、心から願っています。