米国は朝鮮戦争挑発者/朝鮮中央通信C
信川は告発する
米国が今から48年前、朝鮮戦争を挑発した日である6月25日を機に最近、毎日1万人の内外人民が黄海南道の信川を訪れている。
信川は、野獣的本性をむきだしにした米侵略者の犯罪を告発する場所になっている。
1950年10月、信川の地に侵入した米侵略者はその日から想像を絶する殺りくを行った。
信川地区米軍司令官であったハリソンは、共産主義者の種を絶やさなければならないと、猿岩里の火薬倉庫に母と子が一緒に収容されているのはあまりにもハッピーだと言った。そして彼は親子を離れ離れにして殺せと命令した。
母の懐から子供を引き離した米侵略者は、水と乳を求める子供たちにガソリンを与えた。ガソリンを飲んだ子供たちが胸をかきむしり泣き叫ぶや、残忍にも殺した。母たちも虐殺した。
また、石塘橋で罪のない人民2000人を川の中に沈めて殺し、書院貯水池では1000人の婦人を水葬にした。また、1200余人の愛国者を冷凍倉庫に閉じ込め軍犬を放ってかみ殺させた。
彼らは当時、人民学校の尹海元校長の頭を切り裂き、信川たばこ工場女性同盟の朴永教委員長の両目と乳房をえぐり取り、妊婦の腹を切り裂き、9ヵ月目に入った胎児を取り出し銃剣で突き刺した。
米国は、占領52日間に信川住民の4分の1に当たる3万5383人を虐殺した。
信川博物館には、当時の米国の蛮行を示す6465点の遺物・証拠資料と450余件の写真資料が展示されている。
52年、国際法律家協会調査団の共同コミュニケは、米国の信川大虐殺行為を歴史に類例のない殺人犯罪として糾弾した。
国連の看板を盗用
米国の図書「朝鮮戦争の歴史」上(日本語版)では「…ジョン・D・ヒカーソン国連担当国務次官補は、国連(決議案)草案が朝鮮戦争勃発以前に準備されたことをついに認めた」と記している。
51年6月5日、米上院歳出委員会の国務省予算に関する実務的な聴聞会でヒカーソン次官補は、朝鮮戦争勃発と関連し、国連に提出する「決議案」が戦争前に作成されたことを認めた。
米国はすでに作成したシナリオに基づき、国連で共和国に有罪を宣言する「決議案」を採択するようにしむけた。これについて米国の図書「朝鮮戦争は誰が起こしたのか」(日本語版)には次のように記している。
「朝鮮で戦争が始まり、数時間も経たぬ間に米国は、南朝鮮に対する『武力侵略』の口実のもと、大胆にも北朝鮮を非難した。…ソ連の不参加、ユーゴスラビア棄権の状況下で、安保理事会の9ヵ国は米国の主張に従い、急きょ『韓国に対する北朝鮮軍の武力侵略を大きな関心を持って注目する』という決議を通過させた」
国連で採択された米国の「決議案」がいかにねつ造されたものかについて、英国情報局のジョン・ブレット極東部長は次のように証言した。
「戦闘は6月25日、日曜の早朝に始まった。同日午後、国連安保理は、北朝鮮軍に有罪を宣言する決議を採択した。この決議はソウルから国連朝鮮委員団が送った、どちら側から戦闘が開始されたという証拠なき電報に基づき採択された」。米国はこのように戦争放火者としての正体を隠すため、国連の看板まで盗用する悪質な騒動を繰り広げたのだ。(朝鮮通信、おわり)