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米国は朝鮮戦争挑発者/朝鮮中央通信A


攻撃型の武力配置

 米国は朝鮮戦争挑発計画に基づき、侵略武力を攻撃型に配置し、38度線一帯に攻撃陣地を構築して南朝鮮軍を集中させた。

 米国の指令によって、南朝鮮は1950年5月と6月に師団、連隊管下の部隊を38度線地域に進出させた。こうして境界線一帯には5個師団が第1梯隊として展開され、3個師団は作戦予備としてソウル付近に駐屯するようになった。

 米国はまた、米軍武力を朝鮮戦争に迅速に投入できるよう攻撃型に配置し、日本にある米第24師団、米第7師団を港と空港を中心に待機させた。

 また、海空軍基地を日本と太平洋の島に展開した。それは、米国本土から朝鮮まで距離があるため、侵略武力を迅速に朝鮮戦争に投入するためであった。

 米国は太平洋上の多くの島に海空軍基地を大々的に建設し、これに多くの航空機と艦船を待機させた。同時に、極東地域の海軍艦船を増強するため50年2月、米7艦隊に空母と巡洋艦、駆逐艦を配備した。

 また、同地域にB26、B29などの爆撃機3個連隊、戦闘機6個連隊、輸送機2個連隊など12個の航空連隊を集中配備した。

 米国は南朝鮮軍の戦争準備状態を最終的に検閲し、戦争開始の指令を下した。米国は北侵戦争挑発計画を検討するため、ダレスをトルーマン大統領の特使として南朝鮮に派遣した。

 ダレスは50年6月18日、38度線に配置した南朝鮮軍部隊の戦争準備を確認し、李承晩に北朝鮮が先に侵入したとの宣伝と同時に北朝鮮に対する攻撃を開始せよと指令した。

 そして、6月19日、南朝鮮「国会」でダレスは、今回の北侵準備状態を直接視察して準備が十分であれば、直ちに北侵を断行せよとのトルーマン大統領の命令を携えてきたと述べた。6月20日には李承晩に宛てた書簡で、「韓国」に付与された役割は戦争の火をつける口実をつくることにあると強調した。

 米国から北侵命令を受けた南朝鮮軍参謀総長は6月21日、命令第29号として、管下第1戦闘司令部と第2戦闘司令部に攻撃開始日時を伝えた。6月24日(土曜日)、将校たちに外出禁止、待機の指示が下され夕、25日未明から38度線を突破し北朝鮮に対する軍事行動を開始する秘密命令が下された。

 このように、米国の朝鮮戦争挑発指令が直接、南当局に伝達された。(朝鮮通信)