創建50周年――金正日総書記が指導する共和国/第2部 政治(下)
党支える人材/実践家型の活動家要求
私に続いて前へ!
金正日総書記は、24年前の1974年2月13日に開かれた朝鮮労働党中央委第5期第8回総会で政治委員会(現政治局)委員に選出され、金日成主席の唯一の後継者として選ばれて以来、主席を補佐し国政全般を指導してきた。主席逝去後、総書記は「党の最高領導者」に推戴された。では今後は誰が総書記を補佐するのか。それは党活動家である。それでは、党活動家はどのように活動しなければならないのか。それを読み解くカギは、総書記の言葉にある。
1月に慈江道を現地指導した総書記は、「慈江道に来てみると、幹部がすべてのことを決定するとした金日成主席の教示の真髄をよりはっきりと感じる」と述べ、こんにちは実践家型の活動家が要求されると語ったという。
実践家型の活動家とは、言葉ではなく実質的な成果をもって社会に貢献する人間、実力者型の活動家であり、過去にあった形式主義、要領主義と個人主義などとは180度違う。共和国ではこうした活動家を「金策型の活動家」と呼んでいる。
金策氏は、抗日武装闘争時代の闘士で、45年8月15日の祖国解放後の共和国創建(48年)時、副首相兼産業相を務めた人物である。貧しい農村で生れ、早くから祖国解放のため銃を握った人で、経済事業や国の産業問題についての専門知識はなかった。しかし、主席の要求どおりに経済事業を請け負い、混乱した当時の国の産業を立て直し、鉄道輸送も正常化させ破壊された工場や製鉄所も再建した。
つまり実践行動をもって党の経済政策を貫徹したのである。それは党が与えた課題ならば、いかなる試練と難関の中でも最後まで遂行するという精神があってこそできたことだ。
慈江道の党活動家は、「突撃、前へ!」ではなく「私に続いて前へ!」というスローガンのもとに
、党の意図通りに電力問題を解決した。例えば、城干郡では、中小型発電所を建設し、そこで生産さ
れる電気を住民用の照明だけではなく、住宅の暖房化や工場と企業所をフル稼働させることに使うなどして、郡の姿を一新させた。
こうした成果の要因は、活動家が人々に命令、指示を与えるだけでなく、自ら現場に出向き、率先して困難な仕事をやり遂げたところにある。
活動家の仕事に取り組む姿勢が転換されれば、経済建設でも大高揚を起こすことができ、共和国創建50周年を社会主義勝利者の大祝典としていっそう輝かせることもできると言える。
現実重視の人物評価
共和国では、慈江道の成果を評価し、延亨黙・党慈江道委員会責任書記兼人民委員会委員長に労働英雄称号を授与(1月23日付政令)した。
また全国自力更生模範活動家大会(1月29、30日)に参加した剣徳鉱業連合企業所クムコル分工場4・5坑の高京昌採鉱作業班で働く金容植、趙福日、白昌善、鄭徳守さんらにも労働英雄称号(2月2日発朝鮮中央通信)が授与された。
さらに人民経済の先行部門をもりたてるうえで大きく貢献した全秉浩(党中央委書記)、李勇武(交通委員会委員長兼政治局長)の両氏(2月11日付共和国中央人民委員会政令)や、金桂寛氏(外交部副部長)ら4人(民主朝鮮4月12日付紹介)にも労働英雄称号が授与された。金副部長は4者会談の共和国側団長と、対米交渉の実務的役割を担っている。
主席の生前時は、主に国慶節などの国家記念日または功労者の誕生日などの機会に労働英雄称号を授与していた。が、最近の授与対象を見ると、党の要求に沿って現実を重視し実践で成果をおさめた人物が目立っている。(基)