インタビュー/訪朝した喜納昌吉さん(ミュージシャン)に聞く
沖縄出身のミュージシャン、喜納昌吉さんが4月31日から5月5日まで食糧支援のため初めて朝鮮民主主義人民共和国を訪れた。5月15日、沖縄が日本へ復帰して26年目を迎える。それを前後したイベントの打ち合わせなどに忙しい最中の訪朝だったが、「沖縄と朝鮮の一つの線が見えた」という喜納さんに朝鮮との関わり、食糧支援への考えなどについて聞いた。(嶺、文責編集部)
「脅威」ではなく親近感/「固有の文化、花咲かせてほしい」
原点は平和
「すべての武器を楽器に―アリランに虹を―チャリティーコンサート」を16日、沖縄の宜野湾市で行った。出演した16団体はすべてノーギャラ。収益金は朝鮮民主主義人民共和国のための食糧支援に当てる。沖縄には在日米軍の基地問題があって、様々な問題を抱えているのに、何故今「アリランなのか」という疑問を投げかける人もいる。私自身はこの2つを別の問題とは思っていない。
私の原点は平和だ。だから沖縄の平和を願う気持ちと、隣国のそれとは違わない。すべての国の平和を願うからこそ、支援が必要な国に、支援をするというのは当然であり、何のためらいもない。むしろもっと大きく訴えていきたい。
今から18年前、光州事件が起きた時、在日朝鮮人の友人から抗議行動への賛同を呼びかけられたが応えられなかった。それが、今でも悔やまれる。その時は私自身分からないことが多かった。その後、旅に出て色々なことを経験した。
そして、できる時に行動を起こし、やれることをやりたい、そういう意識を持つことが大事だ、という気持ちになった。
アリランと沖縄
訪朝して一番強く感じたのは、距離的なことではなく、感情的に非常に近いという印象を受けた。何故か水墨画のような風景に懐かしさを覚えた。日本とは人の流れが違うが、朝鮮と沖縄はどこかつながっていると思う。そのつながりが何なのか知りたかった。
そもそも沖縄の米軍基地は「北朝鮮の脅威」を理由にしている。もしも脅威があるならば、それを和合し取り除く方に向かうべきである。悪意のみで押し通すことは危険である。
だからこそ、直接朝鮮を見るべきだと思ったし、支援するためにも水害状況を知りたかった。
平壌から妙香山へ行く途中のいたる所で市民が一丸となって植樹をしている姿を見て、無策が招いた災害ではなく、自然が招いたものだと分かった。
文明が熟していない、というより、むしろ文化水準の高さに圧倒され、人々の国に対するプライドを感じた。もし、支援するならばこのプライドを理解したうえで対応すべきだろう。
以前、南でアリランを歌い拍手喝采を受けてからずっと私はアリランを歌い続けている。今回、平壌でアリランを歌った時、どんな反応をするだろうかと思っていたら、南も北も同じだった。そして、もう一つ沖縄も一緒だった。
国家の歴史で考えず、大陸として考える。南北はもともと一つだった。それがアリランを歌うことによって自然に理解できた。長い歴史の中で生活が営まれ固有の文化が生まれる。今、食糧支援が必要だからといって、長い歴史、文化まで否定してはいけない。
本物求める頑固さ
私の「花」という歌はアジアの多くの人が愛し、受け入れてくれた。今回、平壌でも歌ったが、逆に物凄いパワーをもらった。
この歌は色々な人の魂を代弁している。平壌で歌ってみて、この歌は朝鮮民族のために作ったのかと思わせるほどマッチしていた。
花というのは、魂、生命の源であり、生きるという人生そのものだ。朝鮮民族はあれほど芸能を理解し、優れたものを持っている民族。だからこそ花を咲かせると、私は信じている。
先日、在日朝鮮人の団体に呼ばれてコンサートに参加した。祖国を離れて日本で生まれた2世、3世が最初から最後まで母国語で話し、歌い、リズムも受け継いでいる。疑問を投げかけた私に、関係者の1人が「喜納さん、アイデンティティですよ」と言った。
自分たちがしっかりとした固有のものを持ち、自信があるからこそ、それを代を継いで受け継いでいける。
「北朝鮮の脅威」があるとすれば、私には文化的脅威があるだけだ。この水準の高さ、本物しか求めないという頑固さに共鳴する。
意識ある人たちとの出会いが志しを大きくし、そこからまた新たな出会いが生まれる。それがアーティストとしての喜びでもある。
来年は、南北を含めてジョイントコンサートをぜひ開きたい。