「書簡」以後――組織の姿(下)
きめ細かい運動へ/「生き方」の多様化に対応
結束の歴史
「活動を全面的に同胞の地域生活に密着したものに転換する」(総聯中央委員会第17期第3回会議拡大会議報告)。
金正日総書記の書簡「在日朝鮮人運動を新たな高い段階へと発展させるために」を受けて以後、総聯が活動の中心に据えて来た課題だ。
総聯は結成以来、在日同胞の民族的権利と利益を代表し、擁護してきた。その活動を支えて来たのは同胞らの積極的な支持にほかならない。
在日同胞は総聯のまわりに結束することで、自らの運命を自主的に切り拓いてきたと言える。
だが結成から40余年、社会状況が大きく変る中で、解放直後のように、同胞に固い結束を促す共通の問題が見えにくくなった。
つまり、組織が生活・権利問題への取り組みの幅を広げ、その拠点を支部や分会など、同胞に近い所に置く必要が生じた。総聯が「地域密着」への転換を掲げたのはこうした理由からだ。
被災地に見る縮図
書簡がおくられる4ヵ月余り前の95年1月17日、阪神・淡路大震災が発生した。突然おそった未曾有の大災害に、被災地の同胞社会は土台から揺いだ。
昨年末、震災から3年に際する企画のために、被災地の専従と非専従の活動家4人に話し合ってもらった。およそ4時間にわたり語られた内容は、さながら総聯40年の歩みの縮図のようだった。
震災に対し、総聯は組織をあげて支援運動を展開。日本各地の同胞に支えられた被災同胞は、「どん底にいても人間的な営みが保障されたことで、前向きな姿勢を保てた」という。
厳しい再建の道に加え、祖国を襲った水害、緊張する情勢、さらには深刻化する不景気という三重苦にもかかわらず、同胞らは一丸となって被災した朝鮮学校や、分会などの組織を再建した。「民族教育が危機に瀕すると何をおいても守ろうとする伝統」と、組織を支えようとする「同胞らの不屈の精神」が体現された。
そして、震災の傷が癒えていない同胞らを、容赦なく締め上げる底無しの不況の中で、同胞が求め組織が目指したものは、「きめ細かい心配り」だった。
必要性肌で感じる
その一環として行われているのが、無料生活相談など日常的な問題に対する取り組みだ。被災地だけでなく、各地の支部などで行われている。
悩みが多様で複雑になるほど、法律や経済の同胞専門家にアクセスでき、行政などとの交渉力も強い組織の機能は、今後さらに有用になっていくだろう。
ただ、「日本社会に埋もれて暮らす同胞たちは、団結や相互扶助という選択肢を忘れている」と、現場の活動家たちは指摘する。
「組織はまず同胞の声に誠実に耳を傾け、そして実績を示すしかない。そうすれば彼らも組織への見方を変える。必要性を肌で感じるからだ」という。
震災後、同胞が朝鮮学校や分会を再建できたのは、民族教育や協力し合う地域生活に、「在日同胞の生き方の原点を見出だしているからだ」と、座談会の参加者らは語った。同胞らの生き方は時代とともに装いを変える。組織は常に彼らとともに在るという原点にたち、多様化の波に立ち向かっている。(賢)