投稿/「ムジゲ会」との出会い―障害児と触れ合って―
同胞障害者家族のネットワーク、ムジゲ会の会員らが9〜10日、青商会ウリ民族フォーラム実行委員会の招待で東京に集まり、交流を深めた。この2日間、ボランティアとして会員家族らと行動をともにした朝鮮大学校師範教育学部師範科2年生の投稿を紹介する。
理解しあえる関係を/呉涼美(朝大2年)
脳性麻痺の障害を持つ小学3年生の男の子と2日間行動をともにした。はじめは何をしたらいいのか分からず、ただ車椅子を押していただけだった。
男の子はしょっちゅう私の髪の毛を引っ張ったり、手を触ってはひっかいたりした。最初は、何をしたいのだろうと思っていたが、それが遊びたいという意味だとだんだん分かってきて、私から話しかけてみた。すると、彼は私の一言一言に反応して笑ってくれた。
男の子は話すことはできないが、私の言葉の意味をしっかりと理解しており、時にはふざけて私を笑わせたり驚かせたりもした。そしていつも目をきらきら輝かせて何かを見ていた。
彼だけでない。みんな明るく元気で、自分ができることを精一杯頑張っているように見えた。
私は5体満足に生まれ、これまで大きな病気一つせずいたって健康に過ごしてきた。やりたいことは何でもできるのに、1日1日を大切にせず、何に対しても精一杯努力するわけでもない。ムジゲ会のみんなの姿を見て、今までの自分の生活や考えなど、何もかもが恥ずかしく思えた。
今回、ボランティアに参加し、何よりも障害を持つ人自身と、その周りにいる家族の一生懸命さと温かさ、家族の絆の強さを感じた。
また障害を持つ人に対する考えが180度変わり、今まで持っていた偏見は消えた。
障害者に対して偏見を持つ人は多かれ少なかれいると思う。同じ人間として、病気や障害を持つ人と健常者が理解しあえる関係を築くことが必要だ。
まず、今回のような貴重な体験をした私がもっともっと勉強し、多くの人に、理解し合うことの重要性を伝えていきたい。こうした小さなことから一歩ずつ始まっていくと思う。
今、多くの同胞障害児は朝鮮学校に通うのが困難な状況にある。障害児も健常児も同じ同胞なのだから、例えば同じように勉強はできなくても、いつか同じ教室で一緒に歌ったり踊ったりできるようになればいいと思う。
2日間のボランティアは、想像以上に体力を使う難しいものだったが、ムジゲ会のみんなに会えて本当によかった。色々なことを「心」で教えてくれて、感謝の気持ちでいっぱいだ。
一生懸命に生きること/朴明愛(朝大2年)
今回、初めてムジゲ会の行事に参加したきっかけは、オンニ(姉)がこの会に招待されていたからだ。
オンニは、生まれた時逆子で足を脱臼していた。成長するにつれ、歩き始めるのが少し遅れていることに気づき、病院へ行ってみると、知能の発達に障害があることを知らされたという。でも私は、オンニと20年間暮らして来て、オンニを障害者として見たことは一度もない。ほかのきょうだいと変わらず、「私のオンニ」として見てきた。オンニは誰よりも優しくて、明るくて、感情豊かな人だ。
障害を持つ人に対して、「助けてあげないといけない」と思いがちだが、決してそうではない。本当は、私たちが助けてもらったり、教わることの方が多い。オンニとの生活を振り返ってみてそう思う。今回も、短い時間だったが、初めて会った仁愛ちゃんを通じて、感じたこと、教わったことがたくさんあった。
生まれた時に心臓が悪く手術をした仁愛ちゃんは、年の割に体つきがとても小さく、左手も不自由だ。たくさんのハンディを背負っているにもかかわらず、仁愛ちゃんは小さな体で、小さな生命で、一生懸命に生きていた。
最初はいくら話しかけても、触ろうとしても拒否された。食事をする仁愛ちゃんの行動を見ていても、彼女が何をしたいのか、何をしてあげたらいいのか分からなかった。でもよく見ると、フォークやナイフでお皿を叩いて音を鳴らしたり、口で箸をくわえて左腕で支え、右の手でもう一方の箸を持ってバイオリンを弾く真似をしていた。
それを見て、仁愛ちゃんは音楽が好きなんだと気づき、彼女の左腕と背中を軽く叩いてチャンダンのリズムを取りながら歌を歌ってあげた。するととても喜んで、初めて笑顔を見せてくれた。はっきりしゃべれない仁愛ちゃんは、自分の体を使って何かを伝えようとしていたのだった。
この子たちは、ただ無意味な行動を取っているのではなく、色々な方法を使って話しかけようとしている。そして、「生きる」ために何かを感じ、考えている。ただ毎日何もせずに生きている私たちは、何か大切なことを忘れているような気がする。
2日間を通じて、障害者と健常者の間に線を引かずに、お互いが心と心で話せるような関係を作っていけたらと思った。そして、誰にでも優しく接することができる、そんな心をみんなが持てたらいいなと思った。