清津に「従軍慰安所」/労働新聞が指摘
労働新聞7日付は「清津市で行われた『従軍慰安婦』犯罪」と題する記事を掲載し、次のように指摘した。
人民大学習堂の金徳鎬博士(従軍慰安婦および太平洋戦争被害者補償対策委員会常務委員)、咸鏡北道行政経済委員会の朴燦国指導員らはこのほど、キム・ドゥクマン、ナム・グヒョン、リュ・ミガン、ホ・グジョムさんらの証言を通じて祖国解放前に清津市青岩区域芳津洞の日本海軍基地に駐屯していた部隊が開設、運営した「慰安所」の建物と虐殺された「慰安婦」女性の墓を現地で調査し、「慰安婦」女性に対する日本の蛮行の資料を調べた。
同所は、解放前は咸鏡北道慶興郡豊海面芳津里と呼ばれた。日本は大陸侵略戦争挑発の準備のため、多くの朝鮮人を強制動員して「羅津方面海軍特別攻撃隊」の基地を同地に建設。海軍部隊と警備艇、砲台を配置して海軍の軍事要塞地に変えた。ここに「豊海楼」と「穏月楼」という2つの海軍専用の「慰安所」と性病検診所を設置した。内部構造は若干変わったが、外観は基本的に当時のまま保存されている。
「慰安婦」女性は15〜20歳の朝鮮人で、「豊海楼」に25人、「穏月楼」に15人ほど収容されていた。彼女たちは全国各地で警察や憲兵に拉致され、強制連行されてきた。
彼女たちは「慰安所」到着のその日から朝鮮名を奪われ、朝鮮語の使用、外出、手紙のやり取りも禁止された。1日に20人の相手をしなければならず、拷問と飢えで栄養失調や結核にかかっても、治療などは受けられなかった。性奴隷生活に耐えかねて逃走したが捕まり、拷問の末に殺害された「慰安婦」女性の墓は、今も残されている。(朝鮮通信)