同胞障害者家族のネットワーク/ムジゲ(虹)会
関東中心に30家族が会員
共通の悩みを持つ同胞どうし、手をつなぐことが互いの心の支えになると結成された心身障害者を抱える家族のネットワーク組織、「ムジゲ(虹)会」。関東を中心に現在30家族が会員になっており、障害の種類はダウン症、自閉症など比較的その数の多いものから、睡眠中に呼吸が止まってしまう中枢性低換気症候群や70万人に1人と言われるコルネリア・デ・ダンゲ症候群など現代医学では原因を解明できない難病まで様々だ。会の名前は、発足後に会員らのアンケートで決まったもの。みんなをつなぐ「虹の懸け橋」にという思いが込められている。主な活動は2ヵ月に1回の集まりと、会報「ムジゲ通信」の発行。関東の会員に限られてしまうものの、集まるたびに話は尽きないという。(東)
「偶然」の出会いから
発起人である申桃順さん(35、東京・足立区)の次男、ダウン症のb浩君(6)が3年間の入院生活を送っていた病室には、もう1人朝鮮名の子供がいた。付き添いの母親に声をかけてみると、ウリハッキョの卒業生だった。さらに2人で探してみると、40人足らずの小児病棟に同胞が4人含まれていることが分かる。ダウン症だけでも900〜1000人に1人の割合で生まれるという。帰化者まで合わせて約90万と言われる在日同胞。当然と言えば当然のことだった。
「障害児を産むまで私自身、同胞社会でほとんど障害者と出会ったことがなかった。でも実は表に出てきていないだけで、同胞の障害者も少なくないんだと気づいた。じゃあみんなどこでどうしてるんだろう、まずそれが知りたかった」
申さんは人づてや女性同盟の協力で障害児のいる家庭を探し、1人1人電話をかけた。そして95年10月、初めての集まりを開く。その報告と次回の告知の手紙が会報の第1号になる。
当初、6人だった会員は口コミで徐々に増えていった。本社が発行する月刊誌「イオ」96年9月号で取り上げられてからは、全国各地に輪が広がった。
申さんからの誘いで最近、ダウン症の次女、朴鳳愛さん(21)と共に集まりに参加した李京子さん(49)は次のように語る。
「同胞障害者は同胞社会の中でも『珍しい存在』、さらに施設や病院など日本の社会の中でも『珍しい存在』になってしまうという二重の難しさがあり、ムジゲ会のような場は大切だ。今の人たちは積極的でうらやましい。私が鳳愛を育てていた時は、同胞の障害児はこの子たった1人だけだと思っていた。相談できる人の存在は大きいし、やっぱり同胞はいい。鳳愛の通う施設の保護者会と比べても、ムジゲ会はほっとするし、雰囲気が全然違う」
やってて良かった
会の存在が知れ渡るにつれ、同胞のイベントからチャリティーを寄せられる機会も増えてきた。9日に東京で開かれた青商会ウリ民族フォーラムの実行委員会は、第2部のコンサートに会員家族らを無料招待し、10日にはディズニーランドでの交流会を設けた。
「一人では何もできないが、手をつないだからこそ理解されるようになってきたと思う。ただ、会がどんどん成長していくにつれ本来の姿を見失いそうになりそうで…。ムジゲ会本来の暖かい雰囲気を生かしながらも、規模に応じて組織化していくことが今後の課題だ」と申さんは話す。
同胞社会に望むことは、「お金も有り難いが、それよりも何よりもまず理解が欲しい。障害者も同じ人間だということを分かってほしい」。今でも、障害者がいることを隠したがる家族は少なくない。
少しでも多くの障害児が民族教育を受ける機会を作ろうと活動しているのも、障害児のためだけでなく、未来を共に生きる健常児にとってもプラスになるという考えから。障害児と健常児が、小さい頃から同じ教室で当たり前のように過ごすことが、同胞社会で理解を深めるための最善の方法だと思っているのだ。また桃順さんには、いつの日か、同胞商工人の協力を得て子供たちが働く作業所を作りたいという夢もある。
先日、申さんのもとに朝鮮大学校時代の後輩から電話がきた。最近、ダウン症児を産んだ彼女は、以前「イオ」で見た申さんのことを思い出し、頼って電話してきたのだ。
「仕事、家事、子育ての忙しい合間を縫って会をやるのは大変だけど、やっててよかったと思うのはこんな時。ムジゲ会の存在自体が、誰かの支えになっているのだから」
【連絡先】 TEL 03−5616−9686(申桃順)