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インタビュー/自民党訪朝団団長・中山正暉衆議院議員に聞く


関係改善は「越えやすい山」から/往来が信頼作る

 3月28日から31日まで訪朝した自民党代表団の中山正暉団長(衆院議員)に水害被災地を訪れた感想、朝鮮労働党の金容淳書記との会談を通して感じたことなどについて聞いた。中山議員は昨年11月の連立3与党代表団の訪朝に続いて、2度目の訪朝。(嶺、文責編集部)

 

 ――今回の訪朝ではどのような問題を共和国側と話しあったのか

 色々な話も出たが、とにかく「越えやすい山から越えていこう」ということで一致した。日朝間にはまず、人道問題として解決すべき問題がいくつかあると思う。

 日本人妻の故郷訪問問題などは人道問題として扱うべきだが、それとコメ支援の問題は絡めるべきではない、というのが私自身の考えだ。それぞれ、人道問題として個別的に扱うべきで、これを解決しなければこれをやらない、という性格のものではない。

 日朝政府間交渉もほとんど中断状態だが、行方不明者の問題は、日本で世論を納得させるのは難しいが共和国側がやるといっているので任せることだ。

 昨年、朝鮮労働党との会談で、私は言いたいことを言わせてもらった。そうしたやり取りがあってまた、今回平壌を訪れた。今回も会談では厳しいやりとりもあったが、宴会では私も金容淳書記も歌を披露するなど和やかな雰囲気だった。

 私は郵政大臣を経験した。郵政は通信のことだが、この通信というのは、朝鮮の通信使が語源となっている。誼(よしみ)を重ね信義合い通じるという意味だ。江戸時代は、李朝政府と13回も往復している。日朝には昔から往来の歴史があるのだから、これを踏まえて、今後も付き合っていきたい、という話をした。

 

 ――2度目の訪朝でとくに印象的だったことは

 昨年、平壌を出発する時、飛行機のタラップで共和国側代表団の黄哲さんが、一行から飛び出してきて私の手を握ってくれたのが印象的だった。あれから半年も経たずまた、訪朝の機会を得るとは思わなかった。昨年に続いて今回も息子を連れていった。日本の未来のために、新しい関係を築いていく国をしっかりと見せておきたかった。今回、金容淳書記は宴会で、わざわざ息子の席まで足を運んで乾杯をしてくれた。大変うれしかった。

 金容淳書記とは、忌憚のない話ができた。とくに、よど号の問題だが、この問題は、今回日本に帰ってきて急に浮上した問題のように言う人もいるが、そうではない。私は以前から日朝問題で必ず解決すべき問題だと思ってきた。共和国側は、この問題を基本的に本人たちの意思に任せていると言った。追い出すことはないが、本人たちが帰ると言えば、それに関知しない、ということだ。今回、本人たちとも会った。この問題はそれほどこじれずに進展するだろう。

 

 ――昨年に続いて、水害被災地を回ったようだが

 昨年は、平壌から車で1時間ほどの農場で平安南道粛川郡というところを回った。今回は、平安南道文徳郡にある被災地を視察した。いまだ被害状況は厳しいというのが実感だ。国連開発計画(UNDP)の援助もあるようだが、ダムや堤防などを見てまだまだ援助は足りないと思った。農業投資をもっとすべきだ。また、かなり密植をしていたので、そのために肥料が必要だ。もともと北は農業向きの土地ではなかったし、南は工業向きではない。一つだった国家が分断され長年の無理がたたったという面もある。

 

 ――3回目の訪朝はどうか

 前回、金容淳書記の「人のよく行く所に道ができる」という言葉に、私は足が満たされると書いて満足というと応えた。とにかく、足を運ぶことが大事で、そうした往来が信頼関係をつくる。

 今回、金容淳書記から今度は是非、妻と一緒に来てほしいと言われた。ぜひ行きたい。

 今後、朝鮮労働党の代表団の訪日も実現するだろう。

 これからは、日本も変わったことをアピールすべきだ。北東アジアの繁栄のために、日本と南北朝鮮と手を携えていく必要がある。私個人が、どうなるというより、これからの互いの国のあり方を考えて、日朝関係を築いていくべきだ。