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時事・解説//祖国統一のための全民族大団結10大綱領発表5周年


 金日成主席が1993年4月6日に「祖国統一のための全民族大団結10大綱領」(10大綱領)を発表してから5年が経つ。思想、制度、政見の差を超えて民族の力で連邦制統一を実現しようとの思いで発表された10大綱領だが、金泳三「政権」は執権期間、何の反応も示さなかったばかりか、対北対決政策を貫き、南北関係を最悪の状態に陥らせた。北側は10大綱領、統一3大原則、高麗民主連邦共和国創立方案を祖国統一の3大憲章として、「統一の指針」と位置づけている。(聖)

 

10大綱領とは

連邦制統一が目標/自主、平和、中立国家に

2制度を維持

 金正日総書記は昨年8月4日に発表した論文「偉大な領袖金日成同志の祖国統一遺訓を徹底的に貫徹しよう」の中で、10大綱領が「全民族を団結させて祖国統一の主体的力量を強化するための政治綱領」だと規定した。

 10大綱領は民族大団結の最終目標と理念的基礎、その原則と方途を明らかにしている。最終目標については、自主的で平和的、中立的な統一国家の創立を掲げている。

 その内容については、現存する南北の2つの制度、政府をそのまま置き、すべての民族構成員を代表しうる汎民族統一国家になるべきだと指摘、汎民族統一国家は南北の両地域政府が同等に参加する連邦国家になるべきだとしている。対外的にはどの大国にも偏らない自主、平和、非同盟中立国家と規定した。

 団結の理念、原則としては民族愛と自主精神に基づき共存、共栄、共利を図り、分裂と対決を助長させる行為を中止して信頼を深めることなど詳細にわたって明記している。(全文別表)

 分断をこれ以上持続させないために、思想、理念、制度よりも民族の団結を重視し、1日も早く統一を達成しようとの主席の熱い願いが込められている。

 

最善の方途

 10大綱領が発表された当時、朝鮮半島を取り巻く情勢は一触即発の緊張状態にあった。

 92年2月、「北南間の和解と不可侵及び協力・交流に関する合意書」と非核化共同宣言が発効し、90年代統一の枠組みが整ったにもかかわらず、93年、前年に中止されたチーム・スピリット合同軍事演習が再開されたことで南北対話はこう着状態に陥った。共和国は準戦時状態の突入を余儀なくされた。

 時を同じくして国際原子力機関(IAEA)が共和国に対する「特別査察」を決議。共和国は核拡散防止条約(NPT)脱退宣言で対応した。

 共和国の措置に対して、IAEAは国連安保理にこの問題を付託、「制裁」をちらつかせた。

 これらはすべて共和国の社会主義体制抹殺を狙う米国のシナリオに基づいたものだった。

 当時、米国が「軍事制裁」という最悪のシナリオを選択していれば、北だけでなく南にも被害が及び、朝鮮半島全体が戦場と化し、民族滅亡の悲劇につながったかもしれない。

 つまり、外勢によって醸し出されたこうした難局を打開するためには、全民族の大団結に基づく平和的統一しか方法がなかったと言える。

 そうした中で発表された10大綱領は、全民族の大団結の力による統一の道を選ぶのか、外勢と結託して永久分裂の道を選ぶのかを全民族の前に宣言したものだったといえる。

 

10大綱領

全民族の大団結によって、自主的で、平和的で、中立的な統一国家を創立しなければならない
民族愛と民族自主精神に基づき団結しなければならない
共存、共栄、共利を図り、祖国統一偉業にすべてを服従させる原則で団結しなければならない
民族間の分裂と対決を助長させる一切の政争を中止し、団結しなければならない
北侵と南侵、勝共と赤化の危惧をこぞってなくし、互いに信頼し団結しなければならない
民主主義を重んじ、主義主張が異なるからといって排斥せず、祖国統一の道でともに手を取り進まなければならない
個人と団体が所有する物質的、精神的財富を保護し、それを民族大団結に資するために利用することを奨励しなければならない
接触、往来、対話を通じて、全民族が互いに理解、信頼し、団結しなければならない
祖国統一のための道で、北と南、海外の全民族が互いに連帯を強化しなければならない
10 民族大団結と祖国統一偉業において功労をなした人々を高く評価しなければならない

 

今日的意義

祖国統一3大憲章の一つ/最後まで貫徹すべき指針

現実的な綱領

 10大綱領は、自主・平和統一・民族大団結の祖国統一3大原則(1972年7月4日)、高麗民主連邦共和国創立方案(80年10月10日)とともに、祖国統一3大憲章の1つである。

 この3大憲章は金正日総書記が96年11月、分裂と対決の象徴である板門店を訪れた際に定めたものだ。

 総書記は3大憲章について、「祖国統一のためのたたかいで確固と堅持し、最後まで貫徹しなければならない指導的指針」(在米僑胞ジャーナリスト文明子氏に送った書簡、昨年7月13日付)、「祖国の自主的平和統一を実現するための最も正当で現実的な闘争綱領」(97年8月4日の統一論文)などと述べている。

 情勢や環境の変化に応じて具体的方法は変わることはあっても、3大憲章に基づいて統一を実現する原則的方針に変わりはないということだ。

 

保安法、安企部廃止を

 2月18日に平壌で開かれた共和国政党・団体連合会議で報告した金容淳党書記(最高人民会議統一政策委員長)は、3大憲章を統一指針としなければならないと強調、民族自主と大団結の原則に基づき統一の道を切り開くことを願うのであれば、南の政党、団体などと対話、協議を行う用意があると言明した。

 連合会議では、統一を促進させるために、南側に対し @3大原則を尊重し、外勢依存を排撃して自主的に民族の運命を切り開く用意を示すべき A反北対決政策を連北和解政策に変えるべき B南北が共存、共栄、共利を図り、同族間で互いに合作し団結する用意を示すべき――だとしながら、共和国側が対話の門戸を開いていると改めて明らかにした。

 とくに、北側は連北和解政策への転換を示す実践的措置として、北を敵視する「国家保安法」(保安法)を撤廃し、対北謀略機関である「国家安全企画部」(安企部)を解体するよう主張した。この2つこそが南北関係の発展を妨げてきた最大の制度的障害物だからだ。

 

民族の出路

 労働新聞3月28日付は、金大中「政権」発足から1ヵ月が過ぎたことと関連して論評を掲載し、@自主の原則から目を背けている A民族大団結と平和統一の原則などが眼中にない――点を指摘した。

 金大中氏自身は過去、73年に安企部の前身であるKCIA(中央情報局)によって拉致され、80年5月の光州人民蜂起の際には保安法などの違反容疑で死刑判決を受けた経験があり、92年の「大統領」選挙の際には、同法撤廃を主張していた。

 にもかかわらず、新「政権」出帆後は保安法、安企部とも現状況では必要だとして存続させる方針を明らかにしている。安企部については、「国家情報部」に改名し、人事も一部改編する予定だが、共和国側は「看板の掛け替えで安企部を維持しようとするのは民心に対する愚ろう」(3月23日発朝鮮中央通信)だとして、解体を要求している。

 前述の労働新聞論評は、南北が団結して自主的に出路を切り拓くための北側の発議に慎重に対処し、政策転換の意志を実践で示すべきだと主張した。

 問題の本質は政権交代ではなく、政策の変更にある。