自転車で1500キロの旅/震災支援感謝で全国巡った西宮朝青員
3年前、阪神淡路大震災の時に支援してくれた同胞らへの感謝の気持ちを伝えようと、2日から各地の朝高11校を巡る自転車の旅に出ていた朝青兵庫・西宮支部の青年らが16日夜、約1500キロの旅を終え、地元の阪神朝鮮初級学校に無事、帰還した。予想を越えるハードな行程を、同胞らの温かい声援に励まされて走り切ったメンバーらは、同胞社会のつながりの貴さ、助け合うことの大切さを学んだようだ。(賢)
父母ら出迎え、健闘たたえる
自転車の旅に出ていたのは、同支部の趙利寛委員長(29)と、今月1日に神戸朝高を卒業した姜修章、金龍寿、金炳秀、金賢一さんの5人。震災では、龍寿さんと賢一さんの家がそれぞれ全壊と半壊、趙委員長は神戸市長田区の実家が全焼したという。
一行は2日に阪神初級を出発し、まず九州朝高を目指して神戸港からフェリーで福岡入り。それを皮切りに、自転車やフェリーで山口、広島、北海道、東北、茨城、東京、神奈川、愛知、京都、大阪の順で、出身校である神戸以外の全朝高をまわった。
各地の朝高では、被災地の復旧状況や、民族教育を受けてきたものとして在日同胞社会で民族性を守っていきたいとする決意を盛り込んだ、学区制の同胞宛ての「感謝状」を伝達した。
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ゴールの日、阪神初級では父母や朝青支部の仲間、教員ら約80人が一行を出迎えた。
1人ひとりに「歴史に残るよ、良くやった」と声を掛けていた女性同盟支部の姜宝培顧問(79)は、「見送ったときは心配で、いつ帰るかと指折り数えて待っていたが、やはり朝鮮男児。大したものだ。これなら総聯も任せられる」と話していた。
続いて、学校の講堂で報告会が行われ、メンバーが旅の感想を披露。
「自分の弱さや短所を、ハードな旅の中で思い知った。これを機にしっかり克服したい」(賢一さん)、「行く先々で大歓迎を受け、同胞は1つにつながっていると感じた。旅で学んだことは絶対に忘れない」(龍寿さん)と、その言葉は力強い。
修章さんのオモニ、洪貞子さん(54)は、「これが独り立ちの第一歩かな、と思う。朝大に進学したら、朝鮮人としての心をいっそう磨いてほしい」と語っていた。
同胞の応援が追い風に
「何か思い出に残ることをしたい」
昨年末、朝高卒業を控えた4人が支部に集まり雑談した際、ふと誰かが言った言葉が今回の旅のきっかけだった。キツイ道程は覚悟していたが、心のどこかでは「リタイアもあり」と割りと気軽に考えていた。
だが、いざ出発してみると、旅は「予定外」の連続だった。
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シンドさは、予想以上だった。「走行中の景色など全く覚えていない。ただ、延々とのびるアスファルトの道路と、その上に引かれた白線だけが今も目に浮かぶ」(炳秀さん)という。 5人が「最も辛かった」と声を揃えるのは、3日目、広島―福山間だ。午後5時に広島市を出発し、宿泊地の総聯福山支部に到着したのが午前1時過ぎ。140キロに至る険しい峠道を、疲れや暗闇の恐怖とたたかいながら、8時間かけて走った。途中、賢一さんは疲労のあまり居眠り運転し、道路の側壁にぶつかってしまったという。
距離の長さや峠の険しさもさることながら、思った以上に時間がかかった。なかなか予定通りに行程を消化できずフェリーを利用した。さらに6日目には乗る予定だった舞鶴―小樽のフェリーが休航と知り、急きょ敦賀に出港地を変更したため、仕方なく自転車をたたんで電車にも乗った。行き先の学校や同胞には到着予定日を事前に告げてあり、1日、2日とずるずる遅らせることができなかったためだ。
当初は、「リタイアもあり」のはずだった。しかし敦賀に着いた時、そうした考えは消えていた。不本意ながら「妥協してしまった」との反省の念に駆られた一行は出港を待つ間、車座になってミーティングを持ち、「今後は一切の妥協を排す」と改めて誓った。
一行の決意を固くさせたのは、行く先々の同胞らの表情だった。
各地の朝高では、全校生が総出で花道を作って迎え、出発時には、教室の窓から全員が手を振ってくれた。雨の中を校庭で出迎えてくれた学校や、20〜30キロも自転車で伴走してくれた朝高生らもいた。 宿泊した総聯支部では、深夜に到着したにも関わらず細かく世話を焼いてくれた。
そうしたことの一つ一つが追い風になった。また、そこから連想される次の出会いへの期待が牽引力にもなり、「この先に同胞がいると思うと、アドレナリンがわき出るのを感じ、ペダルを踏む足にも力が入った」(趙委員長)という。
「すべての同胞の応援に支えられて、旅を終えられた」(修章さん)、「朝鮮人に生まれて良かった」(炳秀さん)というのが、メンバーらの偽らざる感想だ。
ただ、あまり盛大に歓待され過ぎて、肝心の「震災支援への感謝」が伝わったかどうかは、まだ確信できていないという。
神奈川朝高の゙光勲校長は、「震災支援では、われわれも被災地の同胞と一体になろうとの気持ちから支援を行った。西宮の朝青員らの訪問で、被災地の同胞とのつながりを再確認できた。彼らを歓迎し、見送った生徒らの温かい表情は、本物だった。私たちの方が彼らに心から礼を言いたい」と話していた。
力走支えた地元の頑張り/留守中に「15日間集中運動」
趙委員長は、「支部に電話するたびに、受話器の向こうから聞こえる賑やかな声に励まされた」と語る。
朝青西宮支部では、5人が自転車の旅に出ているのと時を同じくして、活動のいっそうの活性化を図るため、「15日間集中運動」を行った。
集中運動は、非専従活動家で編成した強化委員会を中心に行われ、委員長は芦屋班班長の柳順啓さん(23・会社員)が抜擢された。
同支部で唯一の専従活動家、趙委員長を欠いての運動となったが、その分、非専従の朝青員らがフル回転で活躍した。
趙委員長の代わりに、朝鮮新報を配達、県本部に提出する報告書の作成などを受け持った鄭王雄さん(19・会社員)をはじめ、役割を分担された朝青員らはいずれも、積極的に課題をこなした。
一方、柳さんらは自分たちを取り巻く現状について改めて、感じたことがある。
この間の朝青支部の仕事の一つに、月末に予定されている、日本学校在校生でつくる兵庫県朝鮮学生会のコンサートチケットの販売がある。地域の同胞青年を訪ねて回り、買ってもらうのだが、「面識がなかったり、普段は付き合いのない同胞青年とコミュニケーションするのは予想以上に大変だった」という。
支部には気の合う仲間のコミュニティーができているが、「そういった熱心な層を取り巻くかたちで、自分の知らない同胞が沢山いると分かった。彼らともつながりを持つ必要性を、より強く感じた」と話していた。