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視点


 昨年12月18日の「大統領」選挙の際に安企部は、在米「韓国人」の貿易業者を使って北京、東京、ソウルで記者会見させ「北朝鮮が金大中候補を資金援助している」とし、金大中候補の落選を狙った。貿易業者には1万9000ドル支払われたという。

 当時から謀略臭いと言われていたが、やはり安企部の謀略だった。さる6日、安企部課長の李ジェイルらが、12日には同海外調査室長の李テソンら計5人がそれぞれ逮捕された。今、捜査の手は次長からトップの前部長権寧海にまで伸びようとしている。

 李テソンが記者会見資料の作成を李ジェイルに指示したのは、選挙11日前の12月7日。今回に限らず安企部は選挙の度に共和国と結びつけた謀略策動をし、同じ手を何度も使っている。

 1971年4月18日、安企部の前身、中央情報部(KCIA)は「学園浸透スパイ団事件」を発表、いわゆる「徐勝・俊植兄弟事件」だ。金大中・朴正煕の「大統領」選挙の10日前だった。1987年12月15日、前月29日に起こったKAL機爆破事件の「犯人、真由美」がソウルに移送され大々的に報道された。金大中・金泳三・盧泰愚が争った「大統領」選挙日の前日で、盧泰愚勝利に影響した。

 共和国は安企部と保安法は、南北関係発展の最大の障害物として、その解体と撤廃を求めているが、南朝鮮の真の民主化のためにも謀略の温床である安企部の解体は緊要である。(喜)