投稿/卒業の春に 孫栄愛(46、茨城・中央支部管下在住)
この春、2人の息子が中学と高校をそれぞれ卒業する。
幼い頃から自分のことを「テシギ」「テリョン」と名乗り、「アボジ」「オモニ」と両親に甘え、「ハルベ」「ハンメ」「コモ」「イモ」…と、ウリマルの中で育ってきた2人。ずっとウリハッキョで民族教育を受け、朝鮮の学生としていつも胸を張って明るく過ごしてきた。
「僕たちどこの学校?」と聞かれると、いつも大きな声で「千波の朝鮮学校!」と答えた2人(茨城朝鮮初中高級学校の所在地は水戸市千波町)。幼稚園の頃、「枕」という漢字を「ペゲ」と読むのを聞いて、思わず吹き出してしまったこともある。
小さい頃から英語が好きで、塾に行っては日本の友達に朝鮮の歴史やウリハッキョの自慢話をして、まるで小さな外交官気取りだった2人。ある日の夕方、水戸の駅前の路上に車を停めて2人を待っていた時のことだ。塾から一緒に出てきた日本の友達に「また来週な、朝鮮人!」と声をかけられ、「ああ、また来週な、日本人!」と笑顔で答えていた2人の姿に、一瞬、ドキッとした自分を恥ずかしく思った。
兄の方は正義感が強く一途。朝青の活動に熱心なあまり、私に「何しにハッキョに行っているの。勉強しに行っているんじゃないの!」と怒鳴られ、泣きながら抗議したこともあった。
一方、勝ち気で目立ちたがり屋で、でもとても寂しがり屋の弟。トンムたちと意見が合わずに早退してしまい、留守番電話に吹き込まれたトンムたちの「ごめんね。早くハッキョに帰っておいで」という声を聞いて、泣きながらハッキョに戻ったこともあった。
そんな2人がとても愛しく、誇らしい。
2人をここまで育てて下さったのはハッキョのソンセンニムたちであり、朝鮮人として生きて行く誇りと自信を養ってくれたのはウリハッキョだ。私たち父母の辛口の批判や、ハッキョに対する要求にいつも真剣に耳を傾けてくれたソンセンニムたちには、感謝の気持ちで一杯である。
2人の息子は、いつの日か同胞の役に立つ同胞のための仕事ができる人間になりたいと言う。4月から兄は朝大生、弟は朝高生。2人とも、多くを学び、価値ある生き方のできる人になって欲しい。
私も朝鮮のオモニとして頑張る決心を新たに、息子たちと一緒に希望の春を迎えようと思う。