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22歳、春――卒業の姿


 今日、10日は朝鮮大学校の卒業式。400余人の卒業生が、総聯と在日同胞社会を支えるそれぞれの場所へと旅立つ。一方、公・私立に限られているものの朝高卒業生への門戸開放が広がる日本の大学へ進む学生も増えており、この春も多くの同胞学生が卒業を迎える。22歳、卒業の春に何を思うのか。朝鮮大学校卒業生と日本の大学卒業生、2人の姿を追った。

 

朝鮮大学校経営学部を卒業する 金教成さん

支えたい、同胞の生活/「人は1人では生きていけない」

 「人は1人では生きていけない」と、朝鮮大学校経営学部を卒業する金教成さん(22)は思っている。

 頼まれたらいやと言えない性格。任されたことへの責任感は強い。そこを見込まれてこの4年間、学年責任者や学部の委員長も務めたが、責任感が強いあまり1人ですべて抱え込み、息切れしそうになることもあった。でもそんな時、手をさしのべてくれる友達がいつもいた。

 教成さんのオモニは言う。「朝大に行かせて本当に良かった。深い人間関係の中で世界が広がり、人間として大きく成長した」。

 東京・小平市にある朝鮮大学校の使命は総聯と在日同胞社会を担う有能な人材を育てることだ。寮で生活を共にしながら、自分1人のためではなく、同胞のために生きることの大切さを学ぶ。卒業後の進路は @総聯・朝青の支部や本部など(組織関係) A商工会・朝銀など(経済関係) B朝鮮学校の教員(教育関係)―が3大分野。教成さんも地元の京都商工会に行く。

   ◇    ◇

 総聯が20歳の誕生日を迎えた75年5月に生まれた。両親がつけた「教成」という名は、主席の「教」えを「成」し遂げよという意味。商工会で20余年間、同胞商工人たちのために尽くしてきたオモニは、「職業は何でもいいから同胞と組織のために生きていきなさいと言ってきた」。

 「親の背中を見て育った」彼にとって「同胞のために生きる」ことは当たり前のことだった。0歳から保育園で育ち、確定申告や決算期には商工会事務所で遊ぶことも多かった彼が、その場所として商工会を思い浮かべるのも自然なこと。明確な目的があるから、勉強にも熱が入った。

 卒論は「相続税における本国法の適用と在日朝鮮人に対する弾圧の本質」。いまだに同胞商工人に対する制度的な差別は多い。厳しい環境の中で生き抜くには、同胞どうしの助け合い、祖国との結びつきが不可欠というのが結論だ。

 同胞社会のニーズに合わせ、税務相談だけでなく総合的な経営アドバイスまで業務内容の拡大を図っている最近の商工会。経験だけに頼ってはいけないと、大学の2部に通いながら経営学を勉強している大先輩、オモニからのアドバイスは「実務のプロになるのはもちろん、同胞たちの生活全般を支えられるような人間性豊かなスタッフに」。

 それは、そのまま教成さんの目標だ。(東)

 

神奈川大学経済学部を卒業する 朴聖愛さん

好きな言葉は「民族」/同胞の中で自分を見つめる

 長野朝鮮初中級学校を経て東京朝高卒業後、神奈川大学で4年間学び、教員免許を取得した。「卒業したら朝鮮学校の教員になりたい」と思っている。

 教員になろうと決めたのは高級部2年の時。担任の先生の影響が大きかった。日本の大学を出た先生は、生徒たちによく「自分の存在」について説いた。

 「自分個人や学校、属しているコミュニティー、国といった諸々の絡まった歴史があって存在する自分というものを見極める」という言葉に妙に心引かれたが、「当時の私には難しくて、卒業まで答えは見つからなかった」。ただ、優しくて人気者の「ソンセンニムのような教員になりたい」という漠然とした思いだけが膨らんでいった。

  ◇    ◇

 教員免許を取得しようと、大学に進学した。経済学部貿易科で勉学に励む一方で、留学同の活動に没頭した。その過程で様々な同胞に出会い、少しずつ「自分」が見え始める。

 2年の時の96年に、留学同神奈川県本部が結成された。神奈川大学の管轄となる横浜にも支部を作ろうと、管下の同胞留学生に呼び掛けた。同胞学生が集う場の大切さを説いて回るなどして支部が結成されたのは翌年。支部長も務めた。

 阪神・淡路大震災の時、現地に駆け付け同胞被災者救援活動を行った。今年2月には、出身地の長野での冬季五輪に共和国選手団のアシスタントとして参加。共和国選手だけでなく南の選手ともいっぱい話した。

 「学生時代は色々な同胞に出会えるのが楽しかった。初級部から民族教育を受けてきた自分とは違う、様々な境遇で育った、たくさんの同胞がいるんだなあって思ったりして。でも境遇はどうであれみんな同じ民族だ。様々な出会いの中で、自分もその中の、在日同胞の一員であることをはっきりと自覚した」

 聖愛さんのオモニと先生が語る彼女の性格は「おっとりしたマイペース型」。だから大学時代に見せた行動力には驚いた。でもそれを「自分をしっかり見つめ直そうとする成長した姿」と受け止めている。

 「民族」という言葉が好きだ。教員になれたら、いつまでも失くしたくない民族心を生徒たちにも教えたいと思う。

 「生徒と同じ目線に立って、今後、同胞社会に出ていく同じ若い世代としてどう生きていくべきかを共に考えていきたい」 (道)