sinboj_hedline.gif (1986 バイト)

投稿/朝・日幼稚園の交流会―母親たちから


 名古屋市にある愛知朝鮮第二初級学校幼稚班と聖心幼稚園の交流会が2月19日、聖心幼稚園で行われた。交流会を企画した愛知第二オモニ会の金癸任さん(35、名古屋市北区)と、子供を聖心幼稚園に通わせている飯永由紀子さん(34、同)から寄せられた投稿を紹介する。

 

互いを愛し尊重する時代に/金癸任(35、名古屋市北区)

 「とてもきれいだね」

 「すごいねー!!」

 愛知朝鮮第二初級学校幼稚班による農楽の舞が終盤にさしかかり、子供たちがサンモを回し始めると、聖心幼稚園の園児とお母さんたちの歓声があがった。見ていた私は思わず目頭を熱くした。

 長男は愛知朝鮮第二初級学校2年生。オモニ会の活動に参加しながら、学校のために尽くすオモニたちの姿に感動した私は、「私も何か私なりの方法で学校に寄与できないか」と考えるようになった。そこで、健康上の理由から長男も以前通い、次男も通っている聖心幼稚園で出会った日本の人たちに、朝鮮学校に対する理解と関心を深めてもらうための交流活動をすることにしたのだ。

 最初の試みは料理教室だった。「いつ日本に来たのですか」「日本語上手ですね」などと言っていた日本のお母さんたちだったが、何度かキムチを一緒に漬けながら民族のこと、歴史のことを話してあげるうちに理解を深めていった。

 その後、朝鮮学校の処遇改善を求める署名運動に協力してもらったところ、朝鮮学校の現状を初めて知ったという何人かのお母さんは、「日本人としてとても恥ずかしい。必ず改善されなければ」と涙を流した。結局、幼稚園のほとんどすべてのお母さんと先生が署名用紙を1枚ずつ引き受けてくれ、最終的に500人を超える署名が集まった。

 昨年末には、毎年行っている聖心幼稚園の年末救援募金の全額を、共和国の子供たちにと寄付してくれた。また、愛知第二のオモニたちが学校を愛する運動の一環として行っている各種の物品販売にも、いつも積極的に協力してくれる。

 こうした過程で園長とも親しくなり、今回の交流会が実現したのだ。

 この日、愛知第二のオモニ会では250食のトックを用意。聖心幼稚園のお母さんたちは250個の桜餅を作り、その一つ一つに手作りの小さな共和国旗と日本の国旗を立ててくれた。旗は小さいが、その真心は朝鮮のオモニたちの胸に深く刻み込まれた。

 幼稚園のクリスマス行事で差別是正と平等を願うと訴えた私の発言に涙したお母さんたち、そして私を「オンマ」と呼ぶ息子の友達の目と心に、この日の交流は深い余韻を残しただろう。この日、「親善大使」の役割を立派に果たした朝鮮幼稚園の園児たち、一生懸命に指導した若い先生たちが、どれだけ頼もしく思えたことか。

 交流会を通じて一層近くなった互いの関係を、今後も大切にしていきたい。無色透明な心で触れ合った子供たちの未来が、互いを愛し尊重する新しい時代であることを願いながら…。(原文は朝鮮語)

 

まず知ること、認めること/飯永由紀子(34、名古屋市北区)

 スヤスヤと眠っている子供の枕もとに小さな旗が置かれています。片側が日の丸、もう片側は朝鮮の国旗です。きのう幼稚園で行われた、愛知朝鮮第二初級学校付属幼稚園との交流会のおみやげです。子供が帰ってくるなり、「今日ね、朝鮮っていう隣の国のお友達が遊びに来たの。ピンクのキラキラのお洋服来て、歌や踊りを見せてくれた。朝鮮のお母さんたちがおいしいスープを作ってくれて、幼稚園のお母さんたちが桜餅作ってくれて、一緒に食べたんだよ。あとから手をつないで遊んだんだけど、すごく楽しかった」と教えてくれました。

 私は、日本がアジアの他の国々に対しておかした罪を、義務教育などきちんとした形で習ったことがありません。ましてや、戦争を知らない私たちが、人種差別や戦争がどれだけ愚かなことかをどのように伝えていったらよいのか、次の世紀を担う子供たちを育てる親として悩み続けて来ました。

 私には、何人かの外国人の友人がいます。その中でも朝鮮の方には特別の思いがあります。と言うのも、話をする時にいつも「この人は日本のことをまだ許してくれてはいないのかな。日本人である私のことはどう思っているのだろう」と思ってしまうのです。

 でも今日、在日朝鮮人2世の友人とじっくり話す機会に恵まれ、はたと思ったのです。もし自分の子供が友達とけんかをして帰ってきたときに母親としてどう対応するか。

 「まず何があったのか、冷静になって考えてごらん。ひとつひとつよく思い出して。そしてもし自分に非があったなら、きちんと反省して謝ろう。そして二度と繰り返さないこと」

 多分そう言うでしょう。これこそ、今の私たち日本人に、欠落しているプロセスのような気がしてならないのです。

 私はずっと、自分たちの民族のしてきた罪を知ることは、つらいことのような気がしていました。でも親として、いや人間としてしなければならないのはまず知ることです。認めることです。そのプロセスなしには、純粋に手をつないで遊んだ子供たちには遠く及びません。

 子供たちにこんなに貴重な経験をさせて下さった同幼稚園、準備に携わって下さった方々に感謝しつつ、いつの日かこの旗のようにどちらかが表でも裏でもなく、日本と朝鮮が分かりあえる時が来ることを望んでやみません。