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特集//朝鮮人強制連行真相調査団第6回全国交流千葉集会


◎分科会◎

各地での経験を交換/資料収集、被害者証言

 6つの分科会では、前田朗・東京造形大学助教授による「今何が問題なのか」とする入門講座から、若者たちによる「戦争責任と現在の問題」と題する討論をはじめ各地の強制連行真相調査団の交流や意見交換などが活発に行われた。

 第3分科会では、未だ強制連行の全容が明らかにされていない状況で資料の収集や被害者の証言の収集とともに、さらに被害者の遺族が新たに人権救済の申し立てをすることも可能だ、とする実例について話し合われた。

 強制連行体験者の鄭雲模さんは「42年に栃木県の足尾銅山に連行され、1日12時間以上も酷使させられた。何度か日本人から殴る蹴るの暴行を受けたが、その時殴りながら監守が言った『半島人の1匹、2匹くたばっても紙切れ1枚でまた連れてこれる』と言った言葉は今でも忘れられない」と証言した。

 また、多くの被害者が無くなっている現状のもとで、愛知県真相調査団の金順愛さんが被害者本人が死亡しても日本の戦争責任は追求されるべきだとしながら、長野県の平岡発電所建設に強制連行された故金一洙さんの遺族である次男の金甲治さんが、昨年12月に日本弁護士連合会と名古屋弁護士会に人権救済の申し立てをした例について述べた。遺族がそこまで実践することは並大抵ではないが、被害者の人権をアピールすることは、現在の日本社会での差別是正に対するアピールにもなるとの意義を強調した。

 95年に、「従軍慰安婦」問題で日弁連が報告書を出したことがあるが、これも被害者からの申し立てがあったからだ。

 朝鮮人強制連行真相調査団の洪祥進事務局長は、今求められているのは、被害者の尊厳の回復であると強調しながら、金銭的なものが問題なのではないと訴えた。そして、そのためにも日本政府は真相を明らかにすべきだということが参加者らの一致した見解だった。

 

◎シンポジウムでの発言◎

 

当局も認めていた強制連行/水野直樹・京大助教授

 戦争末期の資料を探してみようと調査をしていた所、内務省が作成した資料を一部見ることができた。その中に強制連行にかかわる資料があった。

 東京の外務省外交資料館に外務省記録というのがあって、誰でも見ることができる。その中に植民地関係という6冊のファイルがある。1943年から45年の春頃までの文書だ。各種の報告書、意見書などもある。

 これは外務省のものだが、戦前は内務省管理局が所持していたものだ。当時は内務省が植民地を担当していた。44年に朝鮮、台湾在住民の植民地の処遇改善という問題が討議された。

 その中で、連行が強制性を持って行われていたことを当時の当局者が認めていたことなどがはっきりと明記されている。

 日本政府は、資料の公開をいいながら実行に移していないが、私たちが粘り強く訴えていくべきだ。

 

隠匿されてきた戦争資料/吉田裕・一橋大教授

 日本人は向き合うべき2つの歴史を持っている。1つは15年戦争で、もう1つは、その戦争に目を閉ざしてきた戦後史だ。

 敗戦前後の時期に、軍や政府の重要な公文書の大量焼却があった。また、陸、海軍の幕僚将校によって重要な資料が隠匿されてきた。そこでとくに重要なのは、大本営政府連絡会議、御前会議などの資料が徹底して隠匿されてきたという事実だ。

 また、戦後処理問題だが冷戦の中で日本の戦争責任が追求されず、ダブルスタンダードが行われてきた。しかし、現在、新たな変化が生じている。自由主義史観研究者などを中心とした教科書攻撃が行われ、「従軍慰安婦」問題を教科書の記述から削除することなどを要求したが、文部大臣はこれを拒否した。後戻りはできないし、今、日本人は「戦後50年」・「敗戦50年」に否応なく向き合わなければならない時期に来ているといえる。隠ぺいの要因は作動しなくなった。それを市民レベルで広げて、アジアの近隣諸国と歴史認識で共有できる時代を到来させるべきだ。

 

在日朝鮮人への差別是正を/金静媛・山口県朝鮮人強制連行真相調査団

 日本では戦後、「戦争は悪い」という喧嘩両成敗という論理によって、加害者と被害者の区別がなされてこなかった。戦後も在日朝鮮人2、3、4世が戦前とは形を変えた差別を受け続けている。

 その大きな原因の1つは日本の植民地支配と侵略戦争による真相究明が成されてこなかったからだ。日本政府の責任は在日朝鮮人に対して現状回復を行うことだ。

 すなわち民族の尊厳回復である。

 植民地支配の被害者の子孫が差別を受け続けている現状の1つに繰り返されるチマ・チョゴリ事件がある。事件の発生は、日本政府が過去の清算を怠ってきた結果であり、それによって政策的に再生産されてきた差別意識があるからだ。

 差別是正のためにも日本政府はまず、在日朝鮮人は植民地・侵略戦争の被害者であるという視点を持ち、戦争責任をきちんとさせる必要がある。

 

◎フィールドワーク◎

第2海軍航空廠/犠牲者しのび黙とう

 全国集会参加者らは1日、戦時中、強制連行によって朝鮮人が酷使された千葉県富津市にある第2海軍航空廠佐貫地下工場跡を訪れた。参加者らは、洞窟の中に献花した後、犠牲になった人たちのために黙とうをささげた。

 第2海軍航空廠は、1936年に旧日本海軍の木更津航空隊が開隊し、米国との戦争に備え、航空兵力の拡充と東京防衛のために海軍が全力をかけて建設したものだ。

 参加者が訪れた富津市の佐貫地下工場は、43年の春に工事が開始され、大量の朝鮮人が強制連行された。実際の数字は明らかではないが、800人くらいという証言もある。

 千葉の調査団によると、地下工場には40の洞窟があり、総距離約9キロメートル。ここでは少なくとも7、8人が犠牲になったことが明らかになっている。

 一帯は昨年末からゴルフ場の建設が始まっており、まもなく閉鎖されるため今回のフィールドワークが最後となる。