挑戦/NAGANO
「試合経験」生かす/ファン・オクシル(ショートトラック)
第16回冬季五輪アルベールビル大会の500メートルで銅メダルを獲得し、脚光を浴びた。共和国ショートトラックの11年間の歴史をただ1人、一貫して現役として支えてきた第1人者だ。
「6年ぶりの国際大会だが緊張感はない。力を出し切り頑張るだけだ」
9歳の時に学校のクラブでスケートを始めた。スピードスケートの選手として育ったが、86年、共和国にショートトラックが導入されたのを機に、「小柄な自分にはより合っている」と、翌年に転向した。
現在25歳。選手としては決して若くない。これまでの経験からも「スポーツ選手の全盛時の力が続くのは23歳までだと思う」。500メートルの自己ベストは19歳の時、アルベールビル大会で出した47秒2が最高。が、今年1月、「長野」を目前に46秒台を記録した。
若い選手の台頭もあり「力の衰えは感じる」が、悲観はしない。「長い間培った勝負の経験」を生かした滑りを「長野」で披露するつもりだ。
「将来は後輩の指導に当たり、コーチとして世界一の選手を育てたい」(許)
姉の分まで頑張る/チョン・オクミョン(ショートトラック)
昨年11月、初の国際大会となったオランダ・ハーグでの五輪予選会で、「長野」への切符を手に入れた。「オリンピックに参加できることを誇りに思う。こんな大舞台で優勝できたら気持ち良いだろうな」と笑う。
5人兄弟の3女。高等中学校1年(12)の頃、スケート選手だった6つ上の2番目の姉に憧れ、スケートを始めた。親からは「体が弱いから」と反対されたが、スポーツ好きだったし、「オンニ(姉)と一緒に滑りたい」一心で押し切った。
91年にショートに転向。姉と一緒の体育団に入り、ともに世界を目指すはずだったが「叶わなかった」。姉が喉を患い手術を受けたからだ。喉に負担が掛かるハードな運動はもうできず、引退。「姉の分まで頑張ろうと思った」。
家族は出発の日も空港まで見送りに来てくれた。「体に気を付けて頑張って」。姉の励ましに涙がこぼれた。
今年、姉の結婚が決まった。五輪を終えて帰る頃には準備も進んでいるだろう。「良い成績を残し、姉の門出を祝いたい」。(成)
夢にも見る表彰台/ハン・サングク(ショートトラック)
白頭山のふもと、両江道白岩で、4人兄弟の末っ子として生まれた。
「いつも白頭山を見上げながら暮らし、スケートを楽しんだ」
昨年11月、オランダ・ハーグでの五輪予選では国際大会初出場ながら、ベスト8で堂々の入賞。共和国男子ショートトラックに、本大会への出場資格をもたらした。
中学校まではスピードスケートで活躍。92年1月の国内大会では500、1000、1500メートルで優勝を独占した。しかし翌年、ファン・オクシル選手をはじめ、ショートトラック女子が世界大会で活躍する姿に刺激を受け、転向を決めた。
「指定されたコースで記録を競うスピードスケートに対し、ショートトラックは同じコースを滑る相手を牽制し、内から外へ、外から内へとすり抜ける駆け引きの面白さがある。それが自分の性格に合っている」
世界大会の表彰台に立つ自分の姿を、よく夢に見るという。
「共和国の男子ショートトラックを、世界レベルに引き上げることが目標です」(高)