迫害の深層――衛星打ち上げがなぜ(7)/雁部桂子 東京・墨田区立木下川小教諭
「私たちが守る」意思表示を/差別しない心培う教育
墨田区立木下川(きねがわ)小学校は、同じ区内で近所の東京朝鮮第五初中級学校と交流している。私が担任を受け持つ5年生の生徒たちに「朝鮮学校の友達が殴られたり傷付けられている」と伝えると、一斉に「ひどい、どうして?」という声が返って来た。友達としての友情、思い出が胸にあるだけに、子供の思いは正直だ。
私たち大人は、このような純粋な感情が欠落しているのではないか。子供への人権侵害事件を許さない、「私たちがあなたたちを守ります」という意思表示を1人1人がすべき時が来たと思う。
共和国の人工衛星打ち上げ報道以来、チマ・チョゴリ姿の女生徒に一部の心ない日本人の矛先が集中しているのは、許し難いとしか言いようがない。日本社会に民族差別が根強く残っている表れであり、戦後50年以上も経った今もなお、こうした事件が起こるのは残念でならない。ある朝鮮学校生徒の保護者が語った、「チマ・チョゴリを引き裂かれるのは、民族の心を引き裂かれるのと同じ」という言葉を思い出す。
朝鮮学校との交流が始まったのは17年ほど前のことだ。近くの荒川河川敷に関東大震災の時に虐殺された朝鮮人の遺骨が埋まっているのではないかということから、地元の「発掘する会」が試掘を行うと聞き、生徒を連れて現場の見学に行った。同じように見学に来ていたのが東京朝鮮第1初中級学校の生徒で、それをきっかけに生徒同士が文通し合うようになった。
その後の転任先で、東京朝鮮第5初中級学校との付き合いが始まった。1995年には、荒川放水路を共同調査し、開削工事に多くの朝鮮人が携わっていたこと、関東大震災の時の朝鮮人虐殺事件などを調べ、合同発表会を行った。
私のクラスの生徒の中には、「せっかく友達になれたのに、そういう悲しい出来事があったと言わなければならない」と、友情が損なわれるのを怖がって発表をためらう子もいた。でも最後には、友達同士でも事実はきちんと言うべきと本人たちが結論を出し、立派に発表をした。その過程で絆も一層深まった。
生徒たちは今、あいさつも頻繁に交わす。彼らは少なくとも朝鮮人差別など絶対にしないし、差別という行為を止めることのできる子に育っていってくれるだろうと思う。
日本では共和国に関する情報が少なく、報道が偏った側面も少なからずある。保護者から「北朝鮮系の朝鮮学校となぜ交流なんかするんだ」といった内容の苦情が直接来ることもある。交流というのはそう簡単な作業ではない。
それでも、30年前、20年前と比べると状況は格段に好転したし、今も着実に良い方向に向かっている。10年後にはもっと交流が進んでいるはずだ。交流を通じて子供たちが変わり、子供を通じて保護者も変わっていくものだ。
私自身、電車で通勤する教員たちに、朝鮮学校の子供たちがそばにいることを意識するよう働き掛けているし、車内で生徒を見掛けた時は「アンニョンハシムニカ」(こんにちは)と一声掛けるよう心掛けている。
私たち教師がすべきことは、生徒たちがいかなる差別も許さず、実際に差別を止められる意識を培えるようにすること。あらゆる差別の解消に向け、手を携え、活動することで、子供たちの時代には確実に変わると、期待を持ちたい。 (根、文責編集部)
かりべ・けいこ 1943年生まれ。東京学芸大卒。墨田区立第5吾嬬(あづま)小学校などを経て、現職。教師生活は33年目、朝鮮学校との交流は約17年になる。