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時事・解説/朝鮮半島情勢を振り返る(中)


朝米関係

合意文履行に不誠実な米国/ミサイル、地下施設問題で協議

 朝米は今年、1994年10月に調印された基本合意文の履行問題、懸案問題を話し合うための協議などを重ねた。一連の協議は97年3月に合意した準高官レベルとして、金桂寛外務省副相、カートマン国務次官補代理(現朝鮮半島平和会談担当大使)との間で行われた。

 基本合意文については、共和国は誠実に履行してきたが、米国は4年が過ぎた今でも経済制裁を全面緩和していない。さらに重油提供は滞り、軽水炉建設も大幅に遅れるなど、約束は守られていない。共和国を米国の「テロ支援国名簿」から削除するための協議がワシントンで9月28日に行われたが、進展はなかった。

 一方、懸案問題としては、共和国の地下施設問題に関する協議も行われた。11月16、17日の平壌協議で共和国は、米国の言う「地下核施設」疑惑説が事実無根であると一蹴。さらに12月4、5、7、8、10、11日の6日間、ニューヨークの米国連事務所とワシントンの米国務省を往復して断続的に協議が行われた。ニューヨーク・タイムズ15日付によれば、共和国は査察の条件に上げていた補償金の支払いを食糧支援などの条件に交換する意向を示唆(朝日新聞16日付)。次回協議は来年1月に行われる予定。

 朝鮮戦争時に共和国側で死亡した米兵遺骨共同発掘作業が97年末の合意通り計5回実施され、22柱の遺骨を米軍に返還。来年は共同作業を年6回に増やすことなどで合意した。

 ミサイル協議は96年、97年に続いて今年は10月1〜2日、ニューヨークで行われた。6月16日発朝鮮中央通信は論評で、共和国のミサイル開発、配備、輸出問題について初めて言及。ミサイル開発は自主権、生存権に関する問題であるとしながら、米国がミサイル輸出を阻止したければ、1日も早く経済制裁を解除し、ミサイル輸出中止に伴う経済的補償を行うべきだと主張した。

 一方、朝鮮人民軍と国際連合軍間の将官級会談が板門店で3回(6月23日、同30日、7月16日)行われ、人民軍の李賛馥中将と米空軍のヘイドン少将が代表団を引率。

 第1回会談で人民軍側は、停戦協定が履行されず停戦機構がマヒした条件のもとで、朝鮮半島の強固な平和と安全を保障するためには、朝米間で平和協定が締結され、南朝鮮から米軍が撤収しなければならないとの立場を明らかにした。

 4者会談は昨年12月の第1回会談に続いて今年、第2、第3回(3月16〜21日、10月21〜24日)会談が、ジュネーブで行われた。第2回会談では議題を設定することができなかったが、第3回会談では2つの分科委設置で合意し、第4回会談を来年1月18〜22日に開催することにした。分科委では「朝米平和協定締結問題と米軍撤退問題を基本に朝鮮半島に強固な平和体制を構築するための問題が具体的に論議される」(外務省スポークスマン)だろう。(安)

 

朝・日関係

改善への期待から一変/日本政府の「ミサイル騒動」、「対北規制」で悪化

 朝・日関係は昨年11月の連立3与党代表団の訪朝成果に基づいて、関係改善への期待が高まっていた。

 1月27日には、与党代表団の団長を務めた自民党の森喜朗総務会長、社民党の伊藤茂幹事長、新党さきがけの堂本暁子議員団座長(いずれも当時)らが総聯中央を訪問し、朝鮮労働党中央委員会への訪日招請を正式に伝えた。

 人道問題では昨年11月に実現した在朝日本人女性故郷訪問の第1陣に続く第2陣が訪日(1月27日〜2月2日)した。

 各地方からは友好親善や水害支援などを目的に経済・労組団体、各界人士と超党派議員による岡山県日朝友好親善訪問団(団長=原寿男・自民党県議員)をはじめ神奈川、静岡、長野、新潟、青森など各県からの代表団が訪朝した。また、11月には日本青年団協議会が2年ぶりに訪朝し、金日成社会主義青年同盟と親交を深め、今後の定期交流の具体的な取り決めも交わした。

 それぞれの代表団らは国交正常化交渉が中断しているからこそ、民間レベルで各階層を網羅した訪問団を送ることが大切だとしながら、様々な方法で国交正常化へのアプローチをしていきたいとの意欲を示した。

 3月28日から31日まで自民党代表団(団長=中山正暉衆院議員)が訪朝。金容淳書記と会談した際、関係改善について中山団長は「越えやすい山から越えていこう」と述べ、「今後も人道問題は(政治を絡めず)人道問題として解決すべきだ」と強調した。

 共和国赤十字会は6月5日、日本側が提起した「日本人行方不明者」について5ヵ月間集中的に調査した結果を発表。日本側の資料に指摘されている人物は、現在共和国に存在しないことが判明したと明らかにした。この調査は、昨年連立3与党代表団の訪朝の際に一般行方不明者とともに調査することができるとした朝・日友好親善協会会長の発言に沿ったものだ。

 7月末に小渕新政権が誕生。小渕総理は所信表明演説で共和国との関係改善について言及し、共和国側は今後の態度を注視するとしていた。

 しかし、日本政府は共和国が8月31日に人工衛星を打ち上げたことを「弾道ミサイル」発射と事実関係を確認しないまま騒ぎ、9月1日に「国交交渉・食糧支援の見合わせ、朝鮮半島エネルギー開発機構への協力の凍結」などの「政府方針」を打ち出し、2日には名古屋―平壌間のチャーター便の運航まで取り消す規制措置を取った。

 その一方で、今回の騒動を利用して戦域ミサイル防衛(TMD)システム研究参加、新ガイドラインの法制化など、軍事大国化への動きを加速させた。

 労働新聞12月7日付は、「日本当局の策動により朝・日関係は、単純に冷却や悪化の水準にとどまらず、深刻な軍事的対決と戦争瀬戸際へとひた走っている」と指摘。関係改善のためには、まず日本政府が規制措置を撤回し、共和国への敵視政策を転換することが先決となる。(嶺)

 

南北関係

民間交流の模範、金剛山観光/反北対決を連北和解に

  今年、南北間では当局者レベルの対話、民間レベルの交流・協力事業が行われた。

 政府レベルの対話として唯一上げられるのは、北京で4月11日から行われた南北副部長級会談。南北会談は3年9ヵ月ぶり。南での「政権」交代後は初めてである。

 会談は南側が肥料提供問題を公式に提起してきたことに対し、北側が「肥料問題など互いの関心事」になっている問題を話し合おうと開催を通報して実現した。だが南側が離散家族面会所の設置問題を最優先課題に掲げて「相互主義」を主張したため、4月18日に決裂した。

 南での「政権」交代を1週間後に控えた2月18日、共和国では政党・団体連合会議が開かれ、南当局に反北対決政策の連北和解政策への転換を求め、南北和解の阻害となっている「国家保安法」と安企部の撤廃、解体を主張しながら、民族自主と大団結の原則で民族の活路をともに開いていくことを心から望むのであれば、南の政党、団体をはじめ誰とでも対話と協議を行う用意があると言及した。

 だが南側がこれに応じなかったため具体的な対話の動きはなかった。保安法撤廃などが今後の当局間会談をはじめ南北対話の再開と進展を見るカギとなろう。

 しかし民間レベルでは特筆すべき出来事があった。現代グループの鄭周永名誉会長一行の板門店経由による3回の訪北(6月16〜23日、10月27〜31日、12月15〜17日)。鄭名誉会長は6月に訪北した際、北側と金剛山観光など10項目の南北経済交流を行うことで合意。2回目の訪北の際には金正日共和国国防委員会委員長が宿舎を訪問して鄭名誉会長と会い、石油開発をはじめ南北経済交流などについて話し合った。こうして金剛山観光は11月18日に第1陣が出発。順調に進められている。

 金正日総書記は4月18日付書簡「全民族が大団結して祖国の自主的平和統一を達成しよう」を発表。民族大団結5大方針を示しながら、同胞間の往来と接触、対話と連帯・連合を実現することは、民族の大団結を実現する重要な方途の1つであると指摘した。金剛山観光は「民間級交流の模範」であり、今後、このような南北交流が進めば、民族大団結にも大きく寄与するだろう。

 この他、リトル・エンジェルス芸術団(5月2〜12日)、尹伊桑統一音楽会に参加するためのソウル演奏団(10月31〜11月7日)などが訪北した。(慶)