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今年の朝中関係(上)


 朝中間では今年、兄弟的な友情と伝統的な友誼を深めることが改めて強調された。それとともに新しい動きも目立った。今年の朝中関係を振り返った。(基)

兄弟的友情、伝統的友誼を強調/最高指導者が互いに祝電

国家幹部と共に連名で

 まずトップ間の交流から見る。

 共和国創建50周年(9月9日)に際し江沢民国家主席が同月8日付で金正日朝鮮労働党総書記に祝電を送る一方、中国建国49周年(10月1日)に際しては9月30日、金正日総書記が金永南最高人民会議常任委員会委員長、洪成南総理と連名で、江沢民主席と李鵬全国人民代表大会(全人代)委員長、朱鎔基首相に祝電を送った。

 金正日総書記が単独で江沢民主席に祝電を送ることはこれまでもあったが、国家幹部と連名で祝電を 
送ったのはこれが初めてだ。

 また中国の第9期全人代第1回会議で江沢民・中国共産党総書記が国家主席、中央軍事委員会主席に再選されたことで3月16日、金正日総書記は江沢民主席に祝電を送った。一方、9月5日に最高人民会議第10期第1回会議で金正日総書記が国防委員会委員長に推戴された際には、江沢民主席が金正日総書記に祝電を送り、双方は伝統的な朝中友好協力関係が新しい段階へと発展することを強調した。両国が新時代を迎えるにあたり、最高指導者が朝中関係を引き続き発展させていくことを再確認したのだ。

 政府高官間の交流も活発に行われた。

 駐中朝鮮大使館では1月23日に新年宴が行われ、唐家○(○は王へんに旋)・外務次官(4者会談の中国代表、現在外相)ら中国対外部門活動家が招かれた。2月13日には同大使館で総書記の56歳の誕生日を祝う宴会が催され、羅幹・国務委員兼国務秘書長、載秉国・中国共産党対外連絡部部長が招待された。

 96年7月に訪朝している羅幹・国務委員は演説で、「中朝両国は、山河がつながり、唇歯のような関係にある友好的な隣邦であり、両国の人民は伝統的な深くも厚い友好関係を保っている」とし、「中国共産党と人民は中朝友好協力関係を守り抜き、発展させるために絶えず努力を傾けるだろう」と語った。

 また6月23日に訪朝した中国人民政治協商会議全国委員会代表団団長の趙南起副主席は27日、朴成哲副主席(当時)と会見した。

 

朝鮮戦線参戦48周年

 軍部間の交流はどうなっているのか。

 共和国側からは朝鮮人民軍友好参観団(団長=池永春中将)が5月26日に訪中する一方、中国側からは中国人民解放軍軍事親善代表団(団長=熊光楷・副総参謀長・中将)が8月3日、さらに中国人民解放軍親善参観団(団長=中国人民解放軍北京軍区政治委員の杜鉄境中将)が10月16日に訪朝した。

 中国人民解放軍親善参観団の訪朝は、中国人民志願軍の朝鮮戦線参戦48周年(1950年10月25日)と関連するものだが、その記念行事が昨年に比べて大規摸であったことも目を引く。同参観団は滞在中、錦繍山記念宮殿を訪ね金日成主席に敬意を表したほか、祖国解放戦争勝利記念塔、大城山革命烈士陵、友誼塔を訪れ献花し、金鎰武l民武力相と会見した。

 10月25日付の労働新聞は、祖国解放戦争(朝鮮戦争)の勝利は「朝中両国人民の共同のたたかいの結実」であるとしながら、伝統的な朝中親善の花園は金日成主席と毛沢東主席、周恩来首相をはじめ中国の老世代の指導者が共に築いてきたと指摘。両国の指導者は「互いが頻繁に行き来しながら兄弟的な友情と伝統的な友誼を深め、朝中親善の代を引き続き強化発展させられる確固とした土台を築いた」と強調した。

 共和国は同48周年に際し、平壌の朝鮮戦争勝利記念館に中国人民志願軍の闘争関連資料を補充展示した。

 

高山鎮革命史跡地

 金正日総書記は同月22日に慈江道満浦市内の各部門を現地指導した際、まず高山里にある高山鎮革命史跡地を見て回った。ここは、朝鮮戦争第3段階(50年10月中旬〜)の時、最高司令部があった場所だ。国連軍総司令官マッカーサーが「クリスマスは米国本土で」という楽観的見通しのもとで共和国北半部の全域を一挙に占領しようと進めた攻撃を食い止め、反撃を展開するために設けられた。中国人民志願軍第38軍(梁興初・軍団長)は鴨緑江を渡り、満浦に到着、南進を開始した。朝鮮人民軍も満浦に集結して北進する国連軍迎撃のための態勢を整えた。そして朝鮮戦争第3段階では、朝鮮人民軍が中国人民志願軍部隊との緊密な協力のもと、平壌市をはじめ38度線以北のほとんどの地域と南半部の一部の地域を解放することができたのだ。

 こうして見ると、総書記が高山鎮革命史跡地を訪れた意義は、朝中の兄弟的な友情と伝統的な友誼を改めて強調することにあったとも言えよう。