迫害の深層――衛星打ち上げがなぜ(2)/岩島久夫 アレン国際短期大学学長
危機の時こそ外交を/国際的には「衛星」で決着
今回の騒ぎを振り返ると結局、日本だけが「ミサイル」だと騒いだという格好になった。
朝鮮側の言う「衛星打ち上げ成功」にはさまざまな論議を呼んでいるが、しかし米国をはじめ国際的には「衛星打ち上げ」に落ち着いたように思う。
防衛庁の分析結果を見ると、衛星を打ち上げたとするにはスピードが足りないということだが、しかし打ち上げの弾道を見る限りミサイルの弾道とも言えない。自衛隊は情報をキャッチして着弾予想地域に、警戒・観測網を敷き、イージス艦などを待機させていた。発射されたとの情報を受けて、大気圏で追跡した結果、衛星にはスピードが足りないと言っているが、その分析も不十分で大気圏に出るまでしか観測できていないのだ。結局、衛星を飛ばした可能性を残しつつ、「ミサイル」と断定しているわけだ。
だが、日本が「ミサイル」だと言い続ける根拠は、その後のTMD問題や日本が独自の偵察衛星を持つという話などを合わせると、見えてくる。
「日本に向けられた北のミサイル」「列島全域が射程に」「意図的なら交戦状態に」「衝撃北朝鮮のミサイル」など、今にも「北朝鮮が攻めてくる」式の論調は、結局日本の国内事情と日米問題がリンクして出来上がったものではないか。
まず、米国の情報を「ミサイル発射」と発表した防衛庁は、背任事件のスキャンダル隠しや防衛予算圧縮に対する策を考えなくてはならなかった。右向きの政治家も防衛庁の「ミサイル発射」発表を受けて、後の行動を見れば「これは利用できる」と煽りまくったに違いない。
朝鮮が日本に向けてミサイルを発射するなど、実際ありえないことだ。何故なら、それはすなわち平壌にとって自滅の道だからだ。ミサイルが飛んだ数分後には平壌がその倍以上の爆撃を受けるであろうことは常識だ。
だが、「何をそんな呑気なことを」と、日本全土が「ミサイル」憎しに向かってしまった。
冷静に見ると、今回の騒動では日米の外交の違いを如実に示したと言える。
日本はもともと思惑先行型だが、米国は情報先行型だ。米国は情報分野に優れた人を投入し、シュミレーションの結果に基づいて国益にそぐわないものは断念する勇気を持っている。
かつて、日本は優れた人、戦争に反対した人を「赤」だと言って戦場に送り、殺してしまった。その結果どうなったかは、歴史の知るところだ。
朝鮮のことを軍事国家に向かっているというが、もしそうであればこういう時にこそ、クライシスコミュニケーションが必要だろう。互いにボールを投げ、受け、それを繰り返すことだ。
危機管理には鉄則がある。「コミュニケーションが維持される限り危機は顕在化しない」「危機はコミュニケーションの環が切れた時に生起する」というものだ。
この混乱の最中に米朝は、ニューヨークで対話を続け、日本はいち早く制裁に踏み切った。日本の外交は国内政治の延長線上にある。
「パワーポリティックス」政治学第一人者の故ハンス・モーゲンソー教授が言っていたように、「外交は他国家の観点から熟視せよ」である。今こそ日本は朝鮮と外交をすべきなのだ。(嶺)
いわしま・ひさお 1926年生まれ。東大卒、元防衛研究所戦史部長。ハーバード大学国際問題研究所で国際政治・戦略問題を研究。