「来年は必ず全国へ」/大阪朝高、最激戦区で2位
大阪朝鮮高級学校ラグビー部が23日、近鉄花園ラグビー場で行われた第78回全国高校ラグビー府予選の第1地区決勝で、強豪・啓光学園に0−59で敗れ、準優勝した。試合の結果は無念の大敗だったが、挑戦5年目にして最激戦区・大阪で決勝まで残ったことで、朝高ラグビーの実力が誇示され、「全国大会」出場の可能性もグンと現実味を増して来た。
啓光学園は全国優勝1回、準優勝3回の強豪。高校ラグビーでは、日本で最も知名度の高い学校のひとつで、おいそれと勝てる相手ではない。
しかし大阪朝高も、昨年の大会では0−56と完膚無きまでに痛めつけられた同志社香里との準決勝で、32−12と快勝。成長ぶりを示していた。
啓光学園とは今年、新人戦と府春期大会の決勝でも対戦し敗れているが、春期大会での敗戦の際、「タックルでつぶされた時など、ほんの一瞬だが選手らの顔にあきらめの表情が見えた。あれではいけない」とこぼしていたあるOBも、この秋までの成長ぶりには賞賛を惜しまず、「もしかして」との期待を語っていた。
実際に試合でも、前半2分に早くも先制のトライ・ゴールを奪われながら、即座に反撃。相手陣内に雪崩れ込み、20分まではボールを支配し、ゴールラインを脅かした。ただ、大事な場面で反則を重ね、トライには至らなかった。
一方の啓光は、高水準の個人技、組織プレーをいかんなく発揮し、前半4トライ(3ゴール)、後半5トライ(4ゴール)を挙げる猛攻ぶり。朝高は、最後まで試合をあきらめなかったものの、無得点のまま無念のノーサイドとなった。
金信男監督は、「前半のリズムに乗った時に得点できなかったのが悔やまれる。しかし選手らは最後まで、攻めの朝高のラグビーをやり通してくれた」と話す。
尹譜成主将(3年)は、「同胞、OBたちと一緒に全国大会に行きたかったが、力が及ばなかった。でも、全力を尽くしたので悔いはない。2年生はセンスが良く、精神的にも強いので、来年は必ず全国へ行けると思う」と後輩たちの活躍に期待をつないだ。
伝統のジャージに感慨/各地からOB300人
大阪朝高フィフティーンが身を包んだエンジに白いストライプのジャージーは、同ラグビー部が1953年に創部された時とまったく同じデザイン。在日朝鮮学生中央体育大会など重要な公式試合でしか、着用して来なかったという。
この日、スタンドには近畿地方はもちろん、東京、九州、岡山、愛知などから駆け付けた約300人のOBが集まった。
26年の歴史、血と汗が染み込んだジャージーを身にまとって活躍する選手の姿に、OBらの胸には、格別の思いが込み上げた。
朝鮮大学校でラグビーを学び、教員(当時)として同校にラグビー部を創部した金鉉翼さん(49)は、「決勝まで来れたのは教員と父母、そしてOBたちが朝高ラグビーの発展のために積み上げて来た努力の結実でもある」と、感慨深げに語る。
創部当時はボールもスパイクもろくに揃わず、休耕田に丸太でゴールを組み立てて練習した。練習試合に応じてくれる日本学校は一つもなかった。
時は流れ、同ラグビー部のOBらでつくる千里馬クラブが日本のクラブチームではトップクラスに至り、大阪朝高も、とうとうここまで来た。
「全国大会」の舞台にもなる近鉄花園ラグビー場は、大阪朝高からわずか1キロばかり。朝鮮学校は長い間、「全国大会」から締め出されていたこともあり、花園は生徒らにとって「近くて遠い」場所だった。
ラグビー部1期生らは、「あのジャージーを着て後輩らが決勝をたたかうとは感慨無量だ」(康明英さん・43)、「我々のころは花園など夢のまた夢、別世界だった」(高泰雄さん・43)などと語る。
OB会の南秀明会長も、「来年は必ず、全国に行けるだろう」と言葉に力を込めた。
「全国大会」挑戦から、今年で5年目。「花園」はもう夢ではなくなった。(瑟)