視点
「超大国」の米国は、他国が自分の言うことを聞かなければ、一国の自主権を無視してまで思い通りにしようとするエゴがある。
今、騒がれている共和国の「地下核施設疑惑」もその一つだ。「疑わしきは罰せず」というが、米国は「疑わしきは何でも罰する」との一方的論理で共和国に査察を要求し圧力をかけようとしている。
共和国は「国の津々浦々に民需用の地下構造物を数多く建設している」と明らかにし、地下施設は民需用であり「地下核施設」うんぬんは事実無根だと否定している(19日発朝鮮中央通信)。
もともと「地下核施設」と決め付けること自体、無理がある。というのは「『地下施設』はまだ建設段階で、米国にも核関連という確証はないという。米国に『査察』を求める法的権限もなく、交渉が難航するのは必至だ」(朝日新聞17日付)からだ。
「確証」もなく「法的権限」もないのに一方的に「査察」を認めろというのは、まさに共和国の自主権を無視する強盗的論理である。刑事事件で言えば先入観に基づく見込み捜査で、冤罪事件をでっち上げようとする不当なものだ。
それでも共和国は朝米関係を考慮して、米国がどうしても見たいというならば見せることもできるとしながら、もし民需用と判明し「疑惑」が晴れれば誹謗・中傷への補償を米国に要求するとしている(同通信)。身勝手な大国のエゴに対する当然の主張だ。(喜)