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闘い続けた黄永恵さん(福岡県在住・58)/訂正、謝罪を要求し実現


朝日・毎日新聞、日本人作家の誤報

「戦後、日本は武器を売らなかった」 ⇒⇒ 「日本は外国に武器を売っていた」

 「戦後、日本は武器を売らなかった」。日本人作家が書き、毎日新聞が掲載、さらに朝日新聞「天声人語」がこの文章を一部引用した。しかし、この記事は間違っていた。日本は朝鮮戦争に「参戦」し、特需で潤った。朝鮮問題に関する虚偽に満ちた報道が溢れる中で、福岡県北九州市八幡西区に住む黄永恵さん(58)は、これを正そうと立ち上がり、6ヵ月間に及ぶ地道で粘り強い闘いの末、朝日、毎日新聞が謝罪・訂正記事を掲載し、作家は記事を「撤回」し、謝罪した。黄さんは民族教育を受けた後、長い間教員生活を送ったが、病気のためやむなく断念。現在は自宅で闘病中。以下はその闘いの軌跡である。(粉)

 

決して黙認できぬ

 黄さんは昨年、4月30日付の朝日新聞の「天声人語」を読んでいて、激しい怒りにかられた。そこには作家の池澤夏樹さんが、毎日新聞(97年4月14日付)に載せた文章の一説が引用されていたのだ。――「戦後の日本の歴史の中で、いわゆる先進諸国に対して、文句なしに誇れることがあるか。ぼくはそれは武器を売らなかったことだと思う。われわれは人の命を奪う道具を作って売って金を儲(もう)けなかった。その能力があるのにしなかった」

 この文章を何度も読み返した黄さんは、この記事を黙認してはならないと決意した。「記事は朝鮮戦争の際、日本軍国主義者が武器を生産できる能力があるのに、武器を造らず、売って金儲けをしなかったと書いているように思えた。しかも日本の2つの大新聞が歴史的な事実に反するこうしたウソを平気で書いている」。こうした誤った報道と闘うのが、在日朝鮮人としての自分の使命なのだと黄さんは受け止めた。

 

難病と闘いながら

 黄さんにとって祖国解放戦争とは、金日成主席が率いる朝鮮人民の勇敢な戦いによって、世界最強を誇っていた米帝国主義の軍事的・政治的敗北が、歴史上始めて刻印された戦争である。朝鮮人民が収めた大勝利は、米国の内外政策を根幹から揺さぶり、自主への道を進もうとする世界各国人民を勇気づけたのである。しかし、朝・毎両紙の記事は、現代史に燦然と輝くこうした意義を黙殺しようとしていると、黄さんは直感したと言う。

  さらに、当時、米日政府によって進められていた「米日防衛協力のための指針」(ガイドライン)見直し作業は、有事の際、日本が朝鮮出撃態勢を確立することを最大の眼目にしたものであった。朝鮮戦争での日本参戦を彷彿させ、朝鮮侵略の歴史を再び繰り返そうとする一連の動きは、黄さんの目に許し難いものとして映っていた。

 「朝鮮戦争の際、日本全土は国連軍(米軍)の出撃・後方・兵たん基地となり、日本で造られた弾薬が朝鮮全域に降り注ぎました。その犠牲者はある日本の出版物によれば、南北の朝鮮人民460万人以上に達しています。同じ血が流れる同胞として今でも胸が痛みます」と黄さん。

 黄さんは、まず朝鮮戦争に日本がいかに加担したかを示す歴史的資料を探すために、小倉、八幡、折尾などの主だった図書館、本屋などを精力的に回った。ちょうど5月の連休の頃で、連日猛暑と蒸し暑さが続いた。この作業は長い間、リュウマチで、膝、手首、指の痛みに苦しんできた黄さんにとっては、難病との闘いの日々でもあった。

 

朝鮮戦争に日本は「参戦」、特需で潤う

6回目にやっと返事

 悪戦苦闘の末、黄さんは遂に資料を見つけ出した。「この戦争で日本は米軍を中心とする国連軍の大後方基地として機能した。半島への上陸部隊は日本の港で陣容を整えて直接発進し、爆撃機が日本国内の航空基地から出撃した。日本は武器弾薬の補給はもちろん、戦闘機や戦車の補修も引き受けた。軍用トラックの大量供給が、日本の自動車産業興隆のきっかけになった。それだけでなく、日本は米軍の要請を受け、ひそかに海上保安庁所属の掃海艇部隊を派遣し、戦場に参加した。 いわば、日本は現行憲法『施行』下で、朝鮮戦争に 全面参加 していたのである」(読売新聞97年4月19日付社説)

 それだけでなく、様々な資料が日本の悪業ぶりを裏付けていた。

 「歴史的事実がこうなのに、池澤氏による虚偽に満ちた記事を正し、訂正・謝罪の記事と共に、なぜこうしたウソが罷り通るのかという検証記事が必要だと思いました」。

 こう考えた黄さんは、朝日新聞西部本社あてにその資料を引用しながら、「以上のごとく作家池澤夏樹さんの文は歴史の事実に反すると思います」と手紙を送り、返答を求めた。

 しかし、2週間以上経っても、回答が得られないため、黄さんは西部本社に電話をかけたところ、「 天声人語」 は東京本社の管轄のため手紙を東京本社に転送した」と言われたという。

 その後、東京本社あてに電話を6回もかけ、やっと6回目に「手紙に書かれた黄さんの指摘は正しいと思う」という返事をもらった。

 

ついに「撤回」の言葉

 一方、6月4日、西部本社広報室からも速達が届き、池澤氏が連載している「週間朝日」6月27日号の「むくどり通信」欄に「撤回とお詫び」と題して2ページに渡る訂正の文章が掲載されることが告げられた。

 実際に掲載されたこの文章(別掲)には、「ぼくが書いた『戦後51年間、日本は武器を海外に売ることだけはしないできた』という言葉は嘘だった。撤回してお詫びする」という誠意のこもる謝罪の言葉が連なっていた。

 黄さんはこの文章について「胸のつかえがきれいに流れていくのを感じました。本当にうれしかった。素直で率直に間違いを認め詫びるその姿勢に大いに学びました。歴史の真実をうやむやにして、開き直る政治家や作家が多い中で、池澤先生のように立派な作家が、いらっしゃることに感動した」と語っている。

 

内容が間違っていた

 同時に黄さんは、疑問も感じた。「なぜ、訂正の記事が週刊誌に載ったのか、間違いの文章は朝日新聞と毎日新聞が載せたのだから、訂正記事は両紙が扱うべきではないか」。そう考えた黄さんは早速、朝日新聞社に手紙を書き、「正確な情報を伝えることが新聞報道の使命であるならば、新聞社も誤りを訂正すべきである」と申し入れた。

 これに対して朝日新聞社論説委員室から7月15日付で「池澤さんが間違え、私どももまた、事実を誤りました。…いずれにしても、訂正しなくてはなりません。重い問題なので、池澤さんに直接お目にかかった後、できるだけ早く、『天声人語』1回分を充てて誤りである旨を公表しようと、考えております」との返事が寄せられた。

 そして「天声人語」(8月6日付=別掲)は、全面的に訂正記事を載せ、こう詫びた。「(引用した池澤氏の文章の)内容が間違っていた。日本は外国に武器を売っていた。読者の1人から指摘があり、池澤さんはその後、訂正の文章を書いた。私も、調べた結果を添えて訂正しておきたい」。

 続いて、毎日新聞にも同様の申し入れを行った結果、10月2日付の夕刊に「戦後日本と武器の輸出」と題して、池澤氏の文章が掲載され訂正と謝罪がなされたのだ。

 

虚偽に振り回されてはならない

 黄永恵さんの話   「約6ヵ月かかりましたが、訂正や謝罪、検証記事が出てよかった。病気で未解決のことがあると熱や痛みが続き苦しかったけれども、すっきりした形で解決できて晴れ晴れとした気分です。日本のマスコミは虚偽に振り回されず、情報源と事実に対する主体的な確認、分析、検証に基づいて正確な報道を心がけてほしい」