座談会/阪神・淡路大震災から3年
1995年1月17日の阪神・淡路大震災からもうすぐ3年。
被災同胞らは、震災当初の混乱を総聯の周りに団結して乗り越え、その後は朝鮮学校の校舎建設や、ダメージを受けた支部や分会の盛り返しに苦闘してきた。
一方、悪化の一途を辿る日本経済の中にあって、同胞自身の生活再建は思うにまかせないのが現状だ。それだけに、生活・権利の擁護を中心に据えた運動への転換を図る総聯への期待は大きい。
この様相は、同胞の基本的人権と民主主義的民族権利の獲得、組織の発展拡大を経て、新たに同胞の多様な生活問題への対応を目指す総聯運動全般の縮図とも言える。被災地で同胞生活と組織の再建に努めてきた活動家と同胞に、この間の成果、教訓、現状、課題などを語ってもらった。
課題――「生活守る」イメージ 今こそ確立を
兵庫同胞生活相談センター所長 趙富雄(56)
震災当時は総聯姫路支部委員長として救援活動に尽力した。その後、総聯県本部に移り、昨年5月から現職。
「震災の年の11月、県本部の生活・権利問題の担当者になり、同胞から最初に受けた要望が、被災者の生活安定を中心に据えて頑張って欲しい、ということだった。切実なその言葉に、全力でやろうと心に決めた。現在、主に未組織の同胞は、総聯に対し『生活』のイメージを持っていない。被災者を中心とした同胞の生活問題への取り組みで実績を上げ、組織のイメージを一新することが、何よりも求められている」
現状――しんどさギリギリ気配りが欲しいとき
総聯須磨垂水支部非専従副委員長兼大池分会長 崔敏夫(56)
大池分会では震災時の火災で、崔分会長をはじめ会員のほとんどが家を焼失。崔分会長は朝大生だった次男、秀光さんを亡くした。
「震災当初の救援活動で、総聯は同胞のための組織であることが実証された。また金正日総書記から慰問金が送られたことで祖国、組織、同胞のつながりを一層感じた。その思いと、1世から受け継いだ生命力があればこそ、歯を食いしばり頑張ってきた。しかし生活のしんどさは、ぎりぎりのところだ。同胞らは何より、組織のきめ細かい気配りと、生活再建への助力を求めており、私も尽力したい」
教訓――展望拓く力で同胞の信頼を得る
総聯西神戸支部委員長 康義平(59)
総聯西神戸支部は、地震とそれに続く火災で、同胞の中でも多くの人命、財産が失われた神戸市長田区を管下に置く。
「行き場をなくし、財産を失った同胞らにとって、組織を中心に団結することが生き延びる道だった。日本各地に広がる総聯のネットワークによる絶え間ない支援は、流通やエネルギーの供給を断たれた被災地の同胞にとってライフラインだった。差別などの不安の芽も摘んだ。非常時、平時を問わず、いかなる情勢の下でも、そうした展望を拓く力を備えてこそ、私たちは同胞の一層の信頼を得ることができる」
成果――再建の自信糧に若い世代が台頭
伊丹商工会会長 鄭光根(57)
震災により使用不能となった伊丹朝鮮初級学校の新校舎建設委員会の委員長を務めた。
「神戸などに比べれば軽微ながら、大多数の同胞が何らかの被害を受けた状況下での学校再建は、大変な困難を伴った。当初はちゅうちょする声もあったものの、旧校舎が取り壊され、目の前から学校の姿が消えたその時から、同胞らの心は燃え出した。建設運動は、2世が中心だったが、3世まで含めた若い世代が奮闘した。今は彼らが、運動成功の自信を糧に台頭している。困難を共に乗り越えながらバトンタッチできた」