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キム・ヨンホ氏(日本名寺越武志)が談話を発表したが


自らの意思で共和国に永住/「ら致」を否定、事実歪曲のマスコミなど非難

  キム・ヨンホ氏という人が4日、談話を発表した。彼は日本人で本名寺越武志だという。どういう人か。

  石川県出身で34年前の1963年、漁に出て叔父2人とともに遭難し、漂流していた所を共和国の漁船に助けられた。気がついたら清津市の病院に収容されていたという。彼は叔父らと相談して共和国国籍を取得、永住を決意した。その後、社会主義制度のもとで技術学校に通い、工作機械工場に配置され、現在は平安北道の大きな工場の朝鮮職業総同盟責任活動家になった。朝鮮労働党員にもなり、妻と3人の子供にも恵まれた。叔父2人は死亡した。

  何故永住を決意したのか。

  当時は冷戦下で社会主義、とくに共和国に対する誤った認識が日本国民に浸透していた。キムさんらも例外ではなく、日本人と分かれば処罰されると思ったらしい。そのためキムさんの叔父が、父は朝鮮人、母は日本人であり、両親はすでに亡くなっていて、帰国のために来たと嘘をついた。その内容は本紙87年9月8日付に掲載されている。キムさん自身滞在過程で、人民が主人の国だと感じるようになったという。

  キムさんの談話の内容は。

  共和国永住の経緯を改めて明らかにし、それを歪曲して伝えている日本の一部マスコミなどを批判した。キムさんが「拉致」され、日本への永住帰国を希望しているかのように喧伝していることに怒りを露にし、永住が自らの意思であることを明言している。今後、訪日する場合は、共和国代表団メンバーとして行きたいと述べている。 

  在朝日本人配偶者の故郷訪問に対する共和国側の立場は。

  この問題が日程に上った当初から、共和国は人道問題と見なし、深い関心を払ってきた。金容淳党書記は先頃訪朝した深田肇衆院議員に対し、この問題を食糧援助や国交交渉再開の条件にするつもりはないと言明しているが、日本では第1陣で100人前後の里帰りが実現しなければ、「日本国民の信頼と評価を失うかもしれない」(毎日新聞6日付)などの勝手な論調が飛び交っていた。この問題は反共和国キャンペーンに利用されてはならない。北京での朝・日赤十字連絡協議会第1回会議で合意に達したのは、共和国が人道的な精神から寛容な措置を取った結果だ。今回の合意は朝・日間の理解と親善を深めるのに寄与しよう。