関東大震災74周年 同胞犠牲者を追悼
埼玉・熊谷市などで
関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式が1日、埼玉県熊谷市のメモリアル彩雲で行われ、市内の同胞と日本市民約240人が参加した。
1923年の関東大震災では、発生直後、旧日本軍と警察当局のデマにより6000人を超える朝鮮人が虐殺された。60余人の同胞が犠牲となった同市ではこれまで、熊谷日朝親善協会が慰霊祭を行ってきたが、総聯埼玉・北部支部、民団同支部などの要請を受け、一昨年からは市の主催で合同で追悼式を行っている。
式には、玄斗圭委員長をはじめ総聯支部管下の同胞、民団同胞、熊谷市の小林一夫市長と市議会議員、市民らが参加。黙とうを捧げた後、小林市長と玄委員長が追悼の辞を述べた。
小林市長は、流言にだまされた人たちの心ない行為によって殺された犠牲者に心から哀悼の意を表すると述べ、「この行為を次代に伝えるとともに、2度と同じ過ちを繰り返さないことを誓います」と語った。
同日、同県の本庄市、上里町でも追悼式が行われた。
千葉・船橋市でも
一方、千葉県船橋市の馬込霊園でも同日、関東大震災74周年犠牲同胞追悼の集いが、総聯千葉・西部支部の主催で行われ、総聯中央の呉亨鎮副議長、徐昌武・総聯県本部委員長、李柄河・支部委員長をはじめ、200余人の同胞と日本市民が参加した。
市内に建立された追悼碑が1963年に同霊園に移されて以降、毎年行われているもので、今年で34回目を数える。