キム・ヨンホ氏(日本名寺越武志)が「自分の意思で永住」と談話を発表
最近、日本のマスコミが日本人の共和国永住をもって、反共和国宣伝を繰り広げていることについて、キム・ヨンホ氏(日本人本名寺越武志)が4日、談話を発表した。談話の内容は次のとおり。
私は朝鮮民主主義人民共和国平安北道亀城市に住んでいる。本来、日本人で日本の名は寺越武志だ。
今日、私がマスコミの助けで談話を発表したのは、日本の政界と言論界で私の生活経緯や意思とは別に、私の問題を共和国と連結させたあれこれの雑音について、私の立場を明確にしたいからだ。
最近、日本のマスコミが伝えるところによると、日本では「日本人拉致疑惑真相究明議員連盟」が、私の帰国を助けると言っているかと思えば、一部当局者も私が日本を訪問すれば、永住する問題を検討しなければならないという声まで出ている。
私は、私の共和国永住の経緯を「拉致事件」と関係があるように作り上げ、共和国のイメージを曇らせようと企てる人たちへの憤激を我慢できない。
私は日本の石川県の貧しい零細農漁民の家で生まれた。34年前、幼い年齢ながら苦しい生活を維持しようと父母を助けるため、叔父とともに漁業のため海に出かけ、思いがけない事故と不注意によって方向を見失い遭難した。
その時、日本では誰もわれわれを振り返りもしなかった。しかし、共和国の漁船が私たちを危機から救ってくれ、九死に一生を得てわれわれは共和国に来ることになった。
その時までは、共和国について知らなかった私は、共和国に在留しながら人民が主人となった国とはここを言うのかと思った。
そして私は、叔父と相談して共和国国籍を得て永住することにした。
50に手が届きそうな年になった今でも私は、あの時決心したことを後悔していない。
共和国では、私に心ゆくまで勉強させてくれたし、希望どおり大きな機械工場で働けるようにしてくれた。
私は、朝鮮労働党員として成長し、国家から多くの勲章を受けた。私は今大きな工場の職盟責任活動家として働いている。
私は金正日書記の指導の下、幸福な共和国の大家族の堂々たる一員となっただけでなく、妻や3人の子供とともに幸福な家庭の家長となった。
私は共和国の懐で真の生きがいを見つけた共和国の堂々たる公民である。
日本に住む母が、共和国を訪問した時も、そして日本の各政治家が私を訪ねて来た時も、私は彼らにこのような事実について何度も話をした。
私の叔父は何年か前に病でこの世を去ったが、叔父も悔いはなかった。
私はこのような私の生活経緯について明らかにし、これに反して私のことについてあれこれということは私の人格に対する冒涜であるばかりか、私が生活の根を深く下ろした共和国の尊厳を侵害する行為として断固糾弾する。
私についてあれこれと噂を流す人たちは今、朝・日両国間の日程に上がっている人道主義的問題の解決にブレーキをかけ、ひいては朝・日関係の進展を妨害しようとする人たちだ。
また、彼らは私を利用して、個人的な何らかの政治目的を追求しようとする政治野心家である。
私はこのような卑劣な行為は即時中止されるべきだと主張する。
私が今後、もし日本を訪問するようなことになれば共和国の代表団メンバーとして堂々と行くということを明確にする。
また、5日発、朝鮮中央通信はこの問題と関連して朝・日両国間の人道主義的問題解決にブレーキをかけるべきでない、と報道した。