記者が見た共和国 朝鮮式社会主義の行方(下)/「苦難の行軍」収束
食糧増産に意欲的な農民/資本主義国への市場開拓も
労働新聞、朝鮮人民軍、青年前衛3紙に掲載された今年元旦の共同社説は、今年中に「苦難の行軍」を勝利の内に「収束」させることを宣言したが、具体的には食糧問題を解決するということだ。共和国では3年続きの自然災害による食糧問題をどのように乗り切り、経済問題を解決しようとしているのか。
外貨獲得にも積極的
6月末に訪れた新義州市は、鴨緑江を境に中国との国境沿いにあるためか、中国産の食品や生活用品が多い。同市は昨年より一昨年の水害被害が大きかった地域だ。傷跡は完全には癒されておらず、食糧問題にも影響を及ぼしていた。
そのため市内最大の人民学校では不登校生徒が目立った。同地を訪れる前、保健部の崔昌植副部長から聞いたところでは、昨年末現在、5歳以下の子ども208万9000人のうち15.6%が栄養失調にかかっていたが、その後の5月末現在にその数は約2倍の30%に達したという。こうした事情が不登校生徒の増大に影響を与えているのかと思うと考え込んでしまった。吉運・市行政委員会課長は、食糧問題の現状について「トウモロコシの根を粉にして、そばにして食べるなど、普段は食べない物も食べている」と語った。
一方、輸出品を生産して外貨を獲得し、食糧を輸入する対策も実施されていた。新義州市輸出被服工場は、ドイツ企業から原料を購入してコートやジャンパーなどを委託加工し、月に2万着の完成品を中国の貿易会社を経由してドイツに送り、英国やフランスなど欧州市場で販売している。以前は旧ソ連を対象に加工輸出を行っていたが、91年からは対象をドイツに切り替えたという。
全般的に電力事情が緊張してはいるが、こうした輸出品工場には電力が優先的に供給されているという。他の地域でも同様の解決方法をとっていた。
「良いものは受け入れる」
昨年、共和国を襲った水害によって延白平野(黄海南道の青丹、延安、白川の各郡)は大きな被害を被った。7月初に現地を訪れたが、ここは穀倉地帯であるためか、水害被災地であるにもかかわらず他の地方よりは食糧事情は良いように感じた。
それでも同平野(8万300ヘクタール)での昨年の収穫は17万1000トン。これは国家目標32万トンの約53.4%にしかならない。それだけに、今年の農業にかける農民らの意欲は非常に高かった。
昨年から取り入れている新しい分組管理制に関して青丹郡の各農場では、家族単位を基本に分組の数を5分組から9分組に増やす一方、規模を1分組20〜25人から10〜12(3〜4世帯)に縮小した。その結果、「農場員たちの間で分組の主人としての自覚が高まっており、生産を高めるために意欲的に働いている」と、閔正植・同郡協同農場経営委員長は力説する。延安郡では、今年から2毛作を導入した。田畑1万9000ヘクタールのうち10%の地で実施しているというが、すでに昨年秋に植えた大麦は、昨年までに他の地域での実験結果が1ヘクタール当たり2.7トンだったのに対し、ここでは1ヘクタール当たり4〜5トンを生産する実績をあげていた。
今夏、旱ばつによる被害が各地で生じていたが、8月初に記者が共和国を発つ際、同平野では被害が生じていないと伝えられ、ほっとした。
一方、平壌市内のホテルでは6月中旬から7月初にかけて経済活動家らが、連日会議を開いていた。内容については知ることができなかったが、ある政務院傘下の幹部は経済問題についてこう語ってくれた。
「収穫を終え食糧問題を解決した後、新しい経済計画が打ち出される。その方向性は羅津−先鋒自由経済貿易地帯をモデルに他国の良いものを受け入れるというものだ」
共和国ではソ連や東欧社会主義の崩壊後、現状打開のために貿易の対象を、資本主義市場へと転換している。共和国は現在、資本主義諸国との貿易のパイプを太くして経済の活性化を図り、同時に朝鮮式社会主義を固守しようとしているのだ。(基)