「参政権」問題の正しい理解を/10問10答 民団の誤った主張
「参政権」問題で民団はどのような誤った主張をしているのか。「参政権」問題の正しい理解のため10問10答で彼らの主張を検証する。
最高裁判決を都合よく解釈
問1 「定住外国人の地方参政権」に関する95年2月の最高裁判所の判決を「画期的な判断」とか「容認判決」と評価しているが。
答1 最高裁判決を自分たちの都合のいいように解釈しているだけだ。
最高裁判決では外国人に対する選挙権(参政権でない!)の付与問題は「当然の権利」、すなわち外国人の基本的人権ではなく、あくまでも政策上の問題としての判断を下し上告を棄却したのである。
判決文の主旨を要約すると、「定住外国人」に選挙権を付与することは憲法上、禁止されていないが、立法化されないとしても憲法違反ではないという判決だ。つまり選挙権を与えても与えなくても憲法違反ではなく、それは憲法問題ではなく政策上の問題だとしているのだ。
にもかかわらず民団中央は自分たちの「運動の正当性を立証した」と、まるで「勝訴」したかのように宣伝している。
またパンフレットなどで判決文中の「選挙権」という文字を「地方参政権」と書き替えて世論を誤導しようとしている。
「役務の提供」と「参政権」は無関係
問2 内外人平等の精神とか日本の地方自治法(第10条A)の「役務の提供をひとしく受ける権利」を「参政権」要求の論拠としているが。
答2 「役務」とは「労働などによる務め」、すなわち公共団体の任務、義務であるサービスを「平等」に受ける権利のこと。
「平等」の中身は、例えば高齢者に対する自治体のサービス等において、内外人の区別なくひとしく受ける「平均的平等」と、外国人に対する日本語の学習機会の無料提供や母国語使用権、民族教育権の保障などの「配分的平等」がある。つまり「役務の提供をひとしく受ける権利」と「参政権」とは何の関わりもない。
また民団は「国際人権規約」26条―「法の下の平等」に基づいて「参政権が不可欠な権利」としているが、ここではあくまでも基本的人権における「内外人平等」をうたったものだ。
ちなみに同規約27条―「少数民族の権利」もマイノリティーの民族性などの基本的人権の保障を定めたものであり、「参政権」の根拠とはならない。
納税義務とも表裏一体でない
問3 民団は区民税、所得税などの各種納税義務を日本人と同等に履行しているとして「参政権」を求めているが。
答3 非課税者や生活保護者にも参政権が付与されており、納税義務と「参政権」は表裏一体の関係ではない。
外国に永く住む日本人や、他国で永住資格を持つ外国人も、その地で各種納税義務を果たしているが、その国の「参政権」を要求しているとの話は聞かない。
それよりも納税者として朝鮮学校に対する助成金の差別および寄付金を「損金」として認めない問題、福祉、サービス分野での税還元の差別的格差と不公平の解消などを主張するのが先決問題である。
「機関委任事務」の廃止とも関係ない
問4 民団は機関委任事務を自治事務に移行すれば国の事務ではなくなり、外国籍住民が首長になってもとくに問題にならないとしているが。
答4 機関委任事務とは「国は地方自治体を一方で国の機関と位置づけ、国の事務を都道府県知事また市長村長に委任」していることを言う。
7月8日、日本政府の地方分権推進委員会による第2次勧告では機関委任事務を原則廃止する方向性を打ち出したが、廃止がただちに外国籍住民が知事や市長、町村長になれる根拠にはなりえない。廃止で自治体が国との関係を完全に断ち切った、「独立小国」にでもなるものではないからだ。「勧告」はあくまでも各自治体の自主性を強化し、役割と責任の増大を図るのを目的とするもので、外国人の「参政権」問題は一言も触れていない。
「勧告」実施と関連して言えば、権限の拡大・強化された各自治体の自主的判断で民族教育権の保障、社会・福祉分野で残る各種制限や差別の撤廃を求めていくことこそ正しい対応だ。
民族反逆者と同じ間違った発想
問5 民団は「参政権」が同化に繋がるものであれば、すでに日本政府が同化政策の一環として永住外国人に「参政権」を与えているはずだとか、「国籍を変更せずに……日本籍住民と『同等』の権利を得ようというもので、決して同化に繋がるものではない」としているが。
答5 日本政府が「参政権」を与えていないことが同化、「帰化」問題の判断基準にはならない。常識的に考えて日本政府が人口の約0.6%にも満たない在日同胞を同化させるために、すすんで主権の侵害まで許すことなどありえない。
過去、日本軍国主義者が「創氏改名」「朝鮮語禁止令」などの皇民化政策を徹底し、朝鮮民族すべてを同化させようとしたことが積極的な「参政権」付与だったのだろうか。
同化を拒み内実ある民族性を育む主体的努力こそが大事であり、「参政権」などの外的環境に頼ろうとする考え自体、過去の民族反逆者に通じる間違った発想だ。結局、「参政権」とは同化、帰化への道にほかならない。
「意見書採択」を白紙撤回した議会
問6 民団は日本の全地方議会の50%で「参政権」付与に関する意見書を採択することが国会での立法化実現のための大きな力となるとしているが。
答6 民団は「意見書採択運動」を1日も早く止めるべきだ。なぜなら多くの議会で、この問題がすべての外国人の生活と権利に関するものだけに一部意見に偏るのではなく、反対や慎重論を唱える外国人の声も聴取するなど公平な立場で対処しているからだ。
また外国人差別問題が「法改正」による「参政権」付与だけで解消されるという問題でなく、地方自治とは言え内政干渉との関係など、あらゆる問題と複雑に関連する問題であるため各議会としても慎重に対処せざるをえないからだ。
すでに「参政権」付与を決議した議会でも、善意にせよ一部の意見を「総意」と誤認した決議だったと認め、「指紋押捺問題と同様な人権運動との認識は誤っていた」「反対意見を聞くべきだった」として過去の決議を見直し、白紙に差し戻そうとする動きもある。
熊本県荒尾市議会は過去の「参政権」決議は本来の意向とは違うものとして白紙撤回する決議を採択した(六月の定例議会)。
「総聯との対決」こそが民団の本音
問7 民団は同胞間の対立を煽っているのは、「参政権」に反対している総聯だと主張しているが。
答7 まったくの言い掛かりだ。民団こそ対立を煽っている。民団中央団長の辛容祥は「参政権運動」の本格的推進とあい前後して、「民団の歴史は総聯との闘争の歴史」であり、「民団の使命は、朝総聯勢力を吸収統合すること」であり、それが「最大の愛国行為」であるなどと発言し、民団の命脈をかけて総聯との対決を「宣言」した。これこそ「参政権」を求める彼らの本音である。
民団の姿勢こそ、同胞間の和合を願い、団体の所属を問わず互いに助け合う多くの在日同胞の志向を真っ向から否定するものだ。
民団が推進する「参政権運動」に加担することは、彼らの反同胞的行為に手を貸すことにほかならない。
民族教育に対する許しがたい暴言
問8 総聯は民族教育運動に重点を置き、日本の人たちも積極的に支援しているが、「参政権」を掲げる民団の対応はどうで、また民族教育や母国語教育などにどのように取り組んでいるのか。
答8 広範な日本の人たちは総聯の民族教育に対し「内容、制度とも1条校となんら遜色がない」「民族教育の保障こそが基本的人権だ」と、支援を寄せているが民団幹部たちは「愚民教育」などと暴言を吐いている。同族として恥ずかしい限りだ。
彼らに民族教育を非難する資格はない。彼らは「韓国学校に通わせると中途半端になる」といいながら、自分たちの子供すら民団系民族学校に通わせていない。また日本の「姓」を名乗り、家庭内でも自分の子供を日本名で呼ぶことに何らためらいも感じていない。
民族団体を自称しながらも、中央から末端の組織に至るすべての大会や会合を日本語で行うことも当然視している。
これが民団幹部がいう「輝かしい50年の歩み」の中身であり、日本社会への「正しい適応」結果であり、「国籍」以外、民族を主張することの出来ない彼らの姿だ。この事実は「参政権運動」の本質を理解するうえで一つの重要な示唆を与えている。
民族学校の歴史をわい曲
問9 民団の出版物によると、総聯が運営する民族学校はすべて、もとは自分たちが築いたものであり、それを奪い取られたとしているのを見て驚いたが。
答9 これこそ妄言の極みだ。「…寺小屋式の母国語教育の場を近代的学校の形態を整え終えた施設まで奪い取られた」とし、それが「今日の朝総連系学校に比べて民団系学校が、桁違いの少数である最大原因となっている」(「韓国民団50年の歩み」)と書いているが、まさに歴史的事実のわい曲だ。
朝鮮学校の起源である「寺子屋式」の学校を築いたのは、在日朝鮮人聯盟(朝聯、1945年10月結成)と愛国的同胞たちだ。
民団の「誇らしい先輩」たち、権逸、゙寧柱などの親日分子、民族反逆者たちが朝聯から追放され民団を創団したのは46年10月だが、その当時、朝聯の学校はまだ「寺小屋」式のままであり、近代的学校の形態を整えたのは朝聯を引き継いだ総聯の結成(55年5月)以後のことだ。このことは民団の同胞たちですら認める事実だ。
民団幹部の妄言は、民族教育の歴史を築き上げてきた1、2世同胞はもとより民族教育に関心を寄せるすべての同胞に対する絶対に許せぬ冒とくである。
内政不干渉の立場と姿勢を
問10 在日同胞が差別是正と民族的権利を求めていこうとする時、日本社会に対して堅持すべき立場、姿勢とはどういったものか。
答10 内政不干渉の立場と姿勢を堅持していくことだ。日本の人口のわずか0.6%にも満たない在日同胞が、特定政党に頼ったり、また意見と対策の対立を前提とし数の論理がまかり通る選挙を通じて民族権利擁護を望むことは幻想にすぎない。
総聯はこれまで、内政不干渉の立場で政治的な利害関係に一切関与せず、また明確な意思表示を差し控えてきたからこそ超党派的な対外活動を繰り広げ支持を得、各界の広範な日本国民とも親善友好関係を深めることができた。
これまでの経験は、在日同胞の団結した力と日本国民の支持が一つになったとき初めて権利擁護運動で確かな成果を得られることを示している。この姿勢を貫いてこそ在日同胞の権利と生活問題が政治的利害関係を離れた、日本人自身の国民的課題として提起されるのだ。