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危機について

 3.11震災以降、いくつかのレベルで「危機」が語られている。

 地震と津波によって大切な人を亡くしたり、家や仕事を失うことにより生活が困難になった人々、そのほか何らかのかたちでこの災厄によって被害を受けた人々が直面する生死に関わる危機。そしていまだ予断を許さない原発危機。さらに財界はじめ日本の支配層にとっては、社会や経済の混乱によって既得権が奪われるのではないかという危機感が存在するであろう。その危機をいかに回避するかが復興構想会議で話し合われている。増税、東北地方の公共財の民間開放や規制緩和、他地域への集団移転などが被災住民の意思とは別のところでなされようとしている。

 原発事故や被災者の生活に対しどのような責任を誰が負っているのか、という批判の声すらかわされようとしているのだ。

 「がんばろう! 日本」というレトリックが強調され、国民統合がはかられて、当然そこにある亀裂を見えなくさせている。

 震災後、外国人犯罪が多発しているというデマがネット上や石巻市などで回り、ここにも一つの危機が生れた。災害時の不安から外部に「敵」を生み出し、かつ普段から外国人を異質な存在として片隅に追いやってきた差別感情が露呈した。

 「災害が起きたときに三国人が騒擾を起こす」とかつて述べた都知事がこの期に再選。日本を一つにしようとするなかで強い権力が立ち上がろうとしている。朝鮮高級学校の「無償化」など図々しいと言わんばかりの姿勢とともに。(李杏理、大学院生)

[朝鮮新報 2011.5.13]