夜を忍ぶ猫 |
出会いたては危なっかしくて打ち解けられるまではらはらした。ザクロのように熟れた自尊心を傷つけてはならないような気がしたからだ。 しかし、一度気を許せばなんとも人懐っこく、急速に距離が縮まっていった。「同性を好きになることだってありうる」という話で意気投合。他者への愛情や関係性に所与の限界などない。それが彼女の生き方である。 彼女は自己を解放する点で率直である。あるときは好きなものにとことん熱中し、あるときは自己の肉体的自由を謳歌する。そして、嫌悪することや許しがたいことには徹底的に歯向かい、相手が誰であれその意志を絶対に曲げない。彼女の正義は、自らが味わった苦悩と他者の苦痛への共感に裏打ちされているのだ。 女性として人間として活動家として類まれなる人物である。他人の心に触れる情熱と相手を思って投げかける言葉の一つひとつが印象に残る。彼女の存在が放つ輝きや言葉によって気づかされ、自己を変革するよう導かれたのは私だけではあるまい。 彼女のような朝鮮人女性たちは生きることが闘いであり、声をかき消されては居場所のない夜をさ迷っている。他者からの不本意なレッテル張りや排除によって苦しめられながらも、独立自尊の精神を手放さず、自らが守るべき人々を大切にする懐の温かさ。それは仲間や育て親に尽くし、自分なりの自由と幸福を手放さずにいる猫の生き方とも重なるのだ。(李杏理、大学院生) [朝鮮新報 2011.4.13] |