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春・夏・秋・冬

 京大入試で受験生がネットを利用し不正を働いた事件が連日、ニュースで取り上げられた。カンニングで逮捕者が出るとは思わなかった。取材先でも関心の高さが窺えた

▼「入試制度を根幹から揺るがす」と事態を重く見た大学側は、すぐに警察に被害届を出した。しかし、大学には多くの意見が寄せられた。その9割が大学側のお粗末な管理体制とその後の対応を批判する声だったという。一部の有識者や評論家は、「カンニングで逮捕は行き過ぎ」と指摘。大学側が手を尽くせば個人を特定できたはずなのに、メディアを巻き込んだ一連の騒動に疑問を呈した

▼手に答えを書いたり紙切れを仕込んだりする古典的なカンニングの手法と今回の手法と、悪質さの度合いに差はないはず。現代的だからというのは理由にならない。「電子通信機器を用いたカンニング」という点でも、すでに30年前の仏映画に描写されている。それでも過熱報道により、家族まで「社会的制裁」を受けた

▼ある学生がこんな話をしていた。「七転び八起きという言葉があるが、自分は1度転んだら次は2度と転ばないよう、よく考えて立ち上がるようにしたい」。立派な考え方だ。ただ、その背景に、1度や2度の失敗ですべてを失いかねない社会の閉塞感も感じとってしまう。未成年者の失敗に向き合って修正する度量がないことの方が問題は大きい。(天)

[朝鮮新報 2011.3.7]