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カンタータ「鴨緑江」と共に 旋律で伝える叙事詩

2カ月半の採譜作業、夢の大舞台へ

 朝鮮大学校管弦楽団。在日同胞社会で唯一の管弦楽団である。1977年12月20日、東京・立川にある立川市民会館大ホールで、初の単独コンサート「朝鮮大学校第1回定期演奏会」が開かれた。朝鮮の名曲をオーケストラで初めて聴くという期待と喜びを抱いて、日本各地から約1300人の同胞や日本市民が会場に足を運んだ。それ以来、今日までほぼ毎年行われてきた同演奏会は、今年で第32回目を迎える。

日本人をも魅了

朝鮮大学校第1回定期演奏会の舞台

朝鮮大学校第3回定期演奏会で披露されたカンタータ「鴨緑江」

 「すばらしい。こんな形式の演奏会は初めてだ」と多くの聴衆が感嘆の声を漏らし、今でも語り草になっている第1回朝鮮大学校定期演奏会。吹奏楽部、民族楽器部、弦楽部からなる朝大管弦楽団76人と合唱団70人、児童合唱団(西東京第1初中)41人の総勢187人からなる大演奏会では、管弦楽と合唱「金剛山の歌」、ピアノ協奏曲「祖国は一つ」、ピアノと管弦楽「ブランコに乗る乙女」など全9曲が披露された。

 その翌年の78年12月19日、東京・荒川で「東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団特別演奏会」が開かれた。演目は「現代朝鮮管弦楽特集」ということで、「青山里に豊年が来た」「アリラン」「血の海」など、朝鮮の数々の名曲が日本の楽団によって演奏された。

 東京シティ・フィル以外にも、朝大の演奏会に訪れ、朝鮮音楽の美しいハーモニーに魅了された多くの日本人音楽家らによって、オーケストラの演奏会で朝鮮の名曲が日本各地で披露された。それは「われわれの音楽がいかに魅力的であるかを証明するできごとであった」(朝鮮大学校教育学部の盧相鉉教授の話)。

 毎年多彩な演奏を披露する朝鮮大学校管弦楽団であるが、中でも代表的なカンタータ(交声曲)「鴨緑江」(作曲=金玉成)は多くの観客の心をつかんでやまない。「鴨緑江」を聴きたいがために遠くから足を運ぶ人も多く、この曲だけは第2回目の演奏会から今日まで欠かさず毎回演奏されてきた。

 「鴨緑江」は、有名な長編叙事詩「白頭山」(作詞=趙基天)の第6章をもとに歌詞と曲をつけたもの。祖国を奪われた朝鮮民族の自由と解放を取り戻す壮大な歴史を描いたスケールと迫力あふれる合唱団と管弦楽の響きは観客を圧倒する。

 その「鴨緑江」であるが、現在、朝鮮民主主義人民共和国では演奏される機会が少なくなってきており、全4楽章までなる総譜も見あたらないという。今では忘れられた名曲となりつつある。

 70年代後半まで在日同胞社会にもほとんど知られていなかったカンタータ「鴨緑江」が、出会いから今日まで、なぜ音楽ファンや同胞たちの心を捉えてやまない曲となったのか。その足跡をたどってみる。

「朝大用楽譜」の誕生

朝鮮大学校第1回定期演奏会のポスター

 77年、今から34年前のこと。

 当時大学内では、学生たちによるアンサンブル公演や小公演が盛んに行われていた。しかし、「今年こそはコンサートホールの大舞台で管弦楽の演奏会を開きたい」と、音楽科の学生らを中心に盛り上がっていた。

 当時、同校教育学部音楽科1年だった金剛山歌劇団の作曲家、丁相鎮氏(52、功勲芸術家)が当直室で一つのカセットテープを見つけた。そこに収録されていた曲が「鴨緑江」だった。それを聴いた瞬間「ぜひこの曲を演奏したい」と思い、友人たちにも呼びかけた。

 とはいっても、朝鮮でも見つからない「幻の楽譜」が日本にあるはずがない。ならば作ればよいと、丁氏自ら「採譜作業」に取りかかった。

 高校時代、独学で採譜の勉強はしていたものの、1人で50〜60人用の演奏を楽譜に写すのはたやすいことではない。

盧相鉉教授

 まずは、すべてのパートの音を丁寧に拾っていく作業から始めた。

 「なにせ、カセットテープが古いもんだから音が荒くてね。早いパッセージ、和音などを聴き取るには苦労した」

 聴こえにくい部分は何度も何度も巻き戻しては再生し、音を拾っていった。

 朝大楽団の特徴とも言える民族楽器を含んだ構成は、丁氏の採譜作業をいっそう困難にさせた。

 カンタータとは、合唱と管弦楽のための多種多様なクラシック音楽作品を示すもの。本来ヤングム、カヤグム用の楽譜はなく、バイオリンからソヘグムのように代用できるパートも存在しない。

丁相鎮氏

 また、同楽団のもう一つの特徴は、木管、金管楽器に比べ圧倒的に弦楽器の数が少ないことだ。本来ないはずのパート譜は、旋律の流れ、和音、リズムを聴きながら原曲に限りなく近くなるよう作っていった。そうして約2カ月半かけて、まさに「朝大楽団用」の総譜が完成されたのである。

 楽譜の完成を今か今かと待ちわびていた団員たちは、合唱を交えた管弦楽団の楽譜を初めて手にしたときは大喜びで、みな口々に早く練習したいと言い出したという。

 その後、今日に至るまで楽譜は何度か修正が加えられていった。しかし、今の状態では完璧な「鴨緑江」とはいえないと丁氏は話す。

 「一日でも早く正確な楽譜を作りたい。そしてこれからもこの名曲が受け継がれていくことを願っている。朝大の演奏会はただの演奏会ではない。朝鮮文化、在日同胞の民族心を守っていく上で、朝大楽団が果たす役割は大きい。多くの人々に愛され続けた『鴨緑江』がこれからも変わらず歌われ続けるよう、自分もみんなと力を合わせていかなければ」(尹梨奈)

[朝鮮新報 2011.5.20]